Number ExBACK NUMBER
メジャー初登板から20年、
野茂英雄が後悔していること。
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byYasuyuki Kurose
posted2015/05/08 10:40
現在はNOMOベースボールクラブのGMとして活動し、野球振興に力を注いでいる野茂氏。
インタビュー中、改めて偉大さを感じさせた言葉とは?
撮影時間はおよそ15分。ボールを手に持ち真正面をじっと見つめているカットと斜めの角度から遠くを見つめているカット(記事中に使用した写真)が表紙の候補に選ばれ、最終的に選ばれたのが真正面の写真だったのだ。
その後、およそ2時間にわたってロングインタビューが行なわれた。そこで改めて20年という時間の経過を感じさせられ、野茂が達成したことの偉大さを感じたのが次の言葉である。
「今だから言えることなんですが、ファンへの感謝の仕方がわかっていなかった。みなさんが下さった歓声に応えて、感謝の気持ちをもっと表に出せたらよかった」
'95年当時、野茂は近鉄との交渉中、そしてアメリカに行っても日本メディアに過剰に追いかけられていた。会見を開いても自宅まで付け回され、ひどいときはトイレの中までカメラが追いかけてきたこともあったという。
「メディアへの対応だけじゃなくて、みなさんからの声援もシャットアウトしていた。あくまでも自分の野球を中心におくことだけを選択してやっていたので、必要以上に自分を守ってしまった」
当時の日本メディアとの複雑な関係も原因なのだろう、日本人、日系人がスタジアムに沢山応援に来ていたが、なかなか素直に応対できない時期があったという。
「自分がメジャーで投げたことは、大きな出来事なんだな」
ただ、今振り返ってみるとこう感じているという。
「自分が'95年にメジャーで投げたことは、日本人や現地の日系人にとってすごく大きな出来事だったんだなと思えるようになったし、実際自分がその立場になればすごく応援していただろう、と」
そう、今では当たり前になったメジャーリーグへの挑戦も、野茂が行った当時は「すごく大きな出来事だった」のだ。歴史上、村上雅則ただ1人しか日本人メジャーリーガーがおらず、さらに彼の挑戦から30年も日本人でメジャー契約を交わした選手はいなかった。だからあれだけの関心と注目が一気に集まり、皆が応援し、「NOMOフィーバー」が起こった。その重圧の中、野茂は1年目に13勝を挙げ、見事に周囲の期待に応えた。そのすごさは、今では感じることの出来ないことだろう。
総勢55人。だが今年、初めて新たなメジャーリーガーが誕生しなかった。
もちろん既にアメリカで活躍している選手が大勢いるからかもしれないが、
これは意外と衝撃的であり残念な出来事だ。
メジャーリーグから必要とされる選手とそうでない選手は、
一体どこがちがうのだろうか。20年という節目の年に、
改めてパイオニアの声に耳を傾けてみることで、
その答えがみえてくるのではないだろうか。
本編「ただひたすらに腕を振った」は、Number877号でお読みください。