岩渕健輔、ラグビーW杯と東京五輪のためにBACK NUMBER
ラグビー協会GM・岩渕健輔が語る。
「世界の頂点を目指す『必要』がある」
text by
岩渕健輔Kensuke Iwabuchi
photograph byWataru Sato
posted2015/01/30 10:40
自身も元日本代表であり、日本人初のイングランド・プレミアシップ入りを果たしている岩渕健輔氏。39歳の若さで日本代表GMの重責を担っている。
1990年代まで、大学ラグビーには6万人が集まっていた。
その最大の理由は、日本ラグビー界が置かれた現状にあります。
ラグビーは1990年代まで、日本国内でも非常に高い人気を誇っていました。
大学ラグビーの人気カード、早稲田大学対明治大学の試合などは、国立競技場に6万人もの観客が集う一大イベントになっていましたし、私が所属していた青山学院大学の試合でも、秩父宮ラグビー場には1万人を超えるファンが来てくれていました。
非常に人気があったのは、日本代表も同様です。私はスタンドオフと呼ばれるポジションについていましたが、試合を終えて宿泊先にバスで戻ろうとしても、スタジアムの外でファンの方々が待ち構えていて、出発できないようなケースも幾度となくありました。
これほど人気があったのは、ラグビーファンやスポーツファンだけでなく、一般の方の間でも関心が高かったためです。ラグビーは今でこそ“ルールが難しくてわかりにくいスポーツ”、“熱心な男性ファンのためのスポーツ”だという印象がありますが、かつては女性の間でも実にポピュラーでしたし、冬の人気スポーツとして完全に定着していました。時代は遡りますが、1984年に松任谷由実さんが「ノーサイド(ラグビーにおける試合終了を意味する単語)」というアルバムを発表されていることなどは、象徴的だと言えるのではないでしょうか。
代表の成績低下、Jリーグ開幕などで人気が下り坂に。
しかし、ラグビー人気は2000年頃を境に陰りが見えていきます。
原因はいくつか挙げられます。
まず日本代表が期待を集めながら、1999年にウェールズなどで行なわれたラグビーW杯第4回大会で結果を出せなかったことは、大きな要因となりました。
Jリーグが開幕したことも、少しずつ影響を及ぼしていきました。
私はサッカーも好きで昔からよく観戦していましたが、Jリーグが始まる前のサッカーは、人気の点でラグビーに遠く及びませんでした。
たとえば元日には、サッカー天皇杯の決勝が国立競技場で催されます。明くる1月2日は、ラグビーの大学選手権の準決勝が、同じく国立競技場で行なわれるわけですが、天皇杯の決勝が数千人程度の観客しか集まらなかったのに対して、大学選手権の準決勝は数万人の観客で賑わっていました。
このような人気の差が逆転するきっかけとなったのが、'93年のJリーグ開幕でした。ラグビー人として、サッカーが先にプロ化に踏み切ったことに対しては羨望も感じましたが、それ以上に、ラグビーにとって大変な時代がやってきたぞという危機感を強く覚えました。