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無名の元高校球児が偉業を成す。
ドジャースのマイナーコーチに就任!
text by
菊地慶剛Yoshitaka Kikuchi
photograph byYoshitaka Kikuchi
posted2015/01/25 10:40
今シーズン、ドジャース傘下、ルーキー・リーグのチームのコーチとなった石橋史匡氏。選手としてはメジャーでプレーすることは出来なかったが、今度はコーチとして再びメジャーの舞台を目指している。
独立リーグでも所属先がなく、浪人生活。
そして2005年に米西海岸で展開していた独立リーグの1つ、GBL(ゴールデン・ベースボール・リーグ)に新規加入した、日本人選手だけで構成される「侍ベアーズ」に参加。だが不運にも、チームは1シーズンだけで解散してしまうことになる。
その後も独立リーグで所属先を探し続けたが、いつも契約にまで至ることはなかった。
その間、ロサンゼルスで練習を続けながら、斎藤隆投手らロサンゼルスで自主トレを行なう日本人選手の練習を手伝う日々を過ごしていた。これが結果的に、新たな道を開くことに繋がっていく。
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その後ビザの有効期限が切れ、2007年に帰国。その年は岩手を拠点とするクラブチーム「岩手21赤べこ野球軍団」でプレーを続けた。
縁あって滑り込んだ、ドジャースとのマイナー契約。
翌2008年はBCリーグの新潟アルビレックス入りが内定していたが、アメリカでの野球が諦めきれず再渡米を果たす。
そしてメジャー各球団が実施するオープン・トライアウトを次々に受験し、なんとドジャースからキャンプ参加が許可され、そのままマイナー契約を結ぶことができたのだ。
石橋自身も認めているが、斎藤の口添えがなかったら実現しなかったであろう契約だった。
しかし、プロの世界は決して甘くはない。
ほとんど出場機会を得られないまま、2009年のキャンプにコーチから引退勧告を受け、チームを離れるか、ブルペン捕手としてチームに残るかの二者択一を突きつけられた。
石橋はチーム残留を選び、裏方としての新たな野球人生をスタートさせることになる。
ちょうどこの時期のドジャースは日本からの2選手とマイナー契約を結んでいたこともあり、石橋はブルペン捕手だけでなく彼らの通訳も担当。そればかりか自ら率先してコーチの手伝いや、選手たちのユニフォームの洗濯を含めクラブハウス・スタッフの仕事にも協力していたという。