マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
熊野の“晩秋の選抜甲子園”とは?
全国の強豪が集う「超豪華練習試合」。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2014/12/10 10:30
2年の夏に全国制覇を成し遂げた前橋育英高の高橋光成。3年時は甲子園出場はならなかったが、西武にドラフト1位で指名を受け、将来を嘱望される本格右腕だ。
「旅」と「位置の移動」の違いを生むもの。
遠くまで練習試合に行く。知らない土地へ行く。知らない土地の選手たちと近くなれる。知らない土地の野球を見られる。なにかを感じようとすれば、いくつもの“発見”をおみやげにできる。
長距離移動による体調さえ気をつければ、いいことずくめだと思う。
その時に、せっかくの機会だから、どこへ行くのか、大きな地図を広げてあらかじめ選手たちに知らしめるのもよいだろう。
たとえば、熊野とはどこにあるのか。山なのか、海なのか、その両方なのか、どういう土地柄なのか。
熊野に行くのに、どこを通るのか。どういうルートをとるのか。道中に何があるのか。
そんなことを、大きな地図をお互いに見合って、熊野を目で見て、その距離、その位置を実感しておくこと。
こんなところまで行くのか。何時間かかるのか。夜行になる。疲れるだろう。バスは誰が運転するのか。部長と監督とコーチと……。これは、たいへんなことだ。
最近の高校野球の選手たちがミミタコになっている「感謝」という実感が沸いてくるのは、こうした実例を示された時であろう。
旅は勉強になる。
人はよくそんなことを言う。
ただし、それはそれなりの段取りを踏んだうえでの場合である。
漠然とした旅は、ただの「位置の移動」にすぎない。
野球に必要なのは社会性である。そして、その社会性を養えるのが「旅」。それも、それなりの“下味”をきちんとつけた旅であろう。