マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
熊野の“晩秋の選抜甲子園”とは?
全国の強豪が集う「超豪華練習試合」。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2014/12/10 10:30
2年の夏に全国制覇を成し遂げた前橋育英高の高橋光成。3年時は甲子園出場はならなかったが、西武にドラフト1位で指名を受け、将来を嘱望される本格右腕だ。
大谷翔平も、1年生の冬に熊野へやってきた。
そして最初は、ほんの数校を呼んでひっそり始まった「くまのベースボールフェスタ」。
熊野の気候・風土のここちよさ、野球環境のすばらしさが、参加校の関係者たちからクチコミで広がるにつれ、エントリー希望も増え、やがて参加校も10校を超えると、地元の学校のグラウンドも試合会場として使用するようになり、今年の秋は延べ5会場で行なわれた。
私がこの熊野を、その年の最後の野球取材の現場にするようになってから、もう7年になる。
実行委員会の方たちの骨折りが実を結んで、びっくりするような学校が、びっくりするほど遠くからやってくる。
大谷翔平(現・日本ハム)が1年の秋には、岩手から花巻東高がやって来た。
前日の午後に花巻を発って、東北、関東、東海を野球部バスで突っ走って、20時間近くかかって、朝の8時に熊野に着いた。
試合開始まで、およそ30分。急いでバスから降りて15分かそこら、ちょっとアップをしただけでプレーボール。
初回、2死ランナーなしで打席に立ったのが3番・投手・大谷翔平だ。初球、しなやかなスイングで振り抜いた打球は右中間を低いライナーであっという間に抜け、大谷はシカのようにダイヤモンドを巡って、らくらく三塁打。そしてスッと三塁ベースに立った。
息ひとつ切らせていない彼の姿を見て、ああ、若いっていいなぁ……と、熊野の澄み切った朝の青空を見上げたものだった。
昨年の高橋光成に見えた、苦難の予感。
去年の秋には、前橋育英高がやって来た。
夏の甲子園で全国制覇を果たして、そのおよそ3カ月後。優勝の立役者だったエース・高橋光成が苦しんでいた。
“それらしいボール”を投げようとして、気負い、力んでいた。ひと目でわかった。
力を入れて投げようとすると、人間は反動を欲しがる。左足を大きく回して、左腰を入れすぎるから、踏み込みは自然インステップになって、今度は腕を振る段になって体が回転しきれない。そのぶん、手先でボールを調節しようとするので、右打者の外角低目を狙った速球が遠くに外れる。
そんな繰り返しに、その先の苦難の予感が走ったものだ。
今年も、前橋育英高はやって来た。去年のチームのような大看板はいなくても、チーム力はやはりすばらしい。
点を取るのに、時間をかけない。
ファーストストライクをヒットにして、初球を送りバント、そしてまたファーストストライクをタイムリー。ものの5分もかけないで先取点だ。やられた方の敗北感は大きい。