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シートはあっても絆がなければ。
可夢偉とケータハム、信頼回復は?
posted2014/09/09 10:30
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Getty Images
39日ぶりにF1のパドックに現れた小林可夢偉は、少し疲れた表情をしていた。
「モンツァを走るというのを聞いたのは、昨日(9月3日)。僕はまだ東京にいました」
その日のうちに準備を済ませ、深夜発のフライトに飛び乗り、ヨーロッパには木曜日の早朝に到着した。自宅があるモナコからヨーロッパラウンドで木曜日にサーキット入りすることは珍しくないが、飛行機で10時間以上も離れた日本から木曜日の朝にサーキットに入りしたのは、F1ドライバーになってから初めてだった。
「いまの心境ですか? 正直、時差ボケで眠いです」
可夢偉が夏休み明け緒戦となったベルギーGPで突然の降板を言い渡されたのは、8月20日の水曜日。ベルギーGPが開幕する2日前のことだった。今回の連絡もイタリアGP開幕の2日前。うれしいはずのF1への復帰も「すごくうれしいというわけではない」と複雑な心境を吐露した。
ドライバーが二転三転し、可夢偉にお鉢が。
モンツァで可夢偉に笑顔が見られなかったのは、なぜか?
それはチームのドライバーが二転三転した末の結果だったからである。前戦ベルギーGPでアンドレ・ロッテラーを可夢偉の代役として走らせたケータハムは、このイタリアGPでもロッテラーを起用しようとしていた。同時にスペイン人ドライバーのロベルト・メリを金曜日のフリー走行で走らせる計画を立てていた。現在、フォーミュラ・ルノー3.5でランキング2位につけているメリは、F1のレースに出場するためのスーパーライセンスをまだ所持しておらず、フリー走行を走らせることで取得させるためだった。
しかし、ロッテラーもF1マシンでモンツァを走行したことがないため、イタリアGPに出場するのなら、すべてのセッションを走りたい。両者の思惑は平行線を辿り、最終的に合意に至らなかった。そこでケータハムは急遽、可夢偉にイタリアGP出場を要請したのである。
「僕がイタリアGPにいなくても、(チームは)大丈夫な理由があった」と言う可夢偉は、ベルギーGP後、イギリス・スコットランドを訪問して帰国。その後は「連絡がなければ、そのまま東京にいる予定だった」という。