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規律、努力、そして攻撃サッカー?
ジダンがレアルBの監督に就任!
posted2014/07/03 10:30
text by
横井伸幸Nobuyuki Yokoi
photograph by
Getty Images
スペイン代表の早過ぎるワールドカップ敗退の原因のひとつに「移籍に関する報道」を挙げたスポーツ紙がある。誰がどこへ行くとか、どのクラブが誰に興味を持っているといったニュースが選手の気を散らし、大会への集中を妨げたというのだ。
実際、それが代表のパフォーマンスにどれほど影響したかは測りようがない。ただオランダ戦の前日にセスクのチェルシー移籍が公表され、チリ戦の前日にシャビのカタール行きが報じられたのは事実だ。
その他メディアが書き立てたのはジエゴ・コスタ、コケ、ペドロ、ハビ・マルティネスらの名前。気がつけばコスタを除いて全てバルサ絡みであり、夏の移籍市場の主役レアル・マドリーは、代表がブラジルにいる間はおとなしかった。
しかし、その後盛り上がるワールドカップの話題の陰で、マドリーはある一大発表をしている。選手の獲得・放出ではなく、Bチーム“カスティージャ”の監督にジダンが就任する件である。
一時はボルドーと基本合意にまで至ったが……。
カスティージャは「ラ・ファブリカ(選手工場)」と呼ばれるマドリーのカンテラの頂点で、前世紀――特に1965年から2000年まで――は優れた若手をトップチームに次々と送り込む素晴らしい育成機関だった。また当時はチームとしての競争力もあり、'79-'80シーズンの国王杯では1部の強豪を次々と下して準優勝している(決勝戦でマドリーの一軍と対戦し6-1で敗北)。2000年以降は、会長となったフロレンティーノ・ペレスの方針もあって、トップチームへの戦力供給源とはいえなくなったが、リーガやヨーロッパサッカー界を見渡すと、カスティージャ出身の選手は非常に多い。
その監督にジダンが就くことになった経緯は、以下のようである。
昨季アンチェロッティのアシスタントを務めたジダンは、来るシーズンに独り立ちし、本格的な監督修行を始めるつもりでいた。マルカ紙によれば、選んだクラブは自身のキャリア上でも重要な4年間を過ごしたフランスのボルドー。交渉は順調に進み、両者は基本合意に至っていたという。
ところがボルドーの補強費が限られていることを知ったジダンは、自分好みのチーム作りができなくなることを理由に翻意した。しかし、それでは一人前の監督になる日が遅くなってしまう。