ブラジルW杯通信BACK NUMBER
歴代監督が頼り続けた天才司令塔。
ピルロ、筋金入りのアズーリとして。
posted2014/06/03 10:40
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
Getty Images
イタリア代表のW杯事前合宿に合流した先月19日、MFアンドレア・ピルロは35歳になった。
'06年のドイツW杯を制した天才司令塔は、昨年5月の自伝発表会でブラジル大会後の代表引退を示唆していた。ところが、今年春の地元紙インタビューであっさりそれを撤回した。
「代表監督から頼まれでもしない限り、自分から代表に別れを告げることはしない」
達観した哲学者か心穏やかな仙人であるかのように、飄々としたピルロの本心を窺うことは難しいが、アズーリのユニフォームへ彼が抱く愛着が並々ならぬものであることは確かだ。
ピルロは、歴代5位にあたるA代表通算出場記録(108試合)を積み上げる前から、アズーリの一員として膨大な時間を重ねてきた。
国歌「マメーリの賛歌」を何度口ずさんだだろう。
19年前、ブレシアの育成部門にいた天才少年ピルロが、トップチームの抜擢を受け、16歳と2日でセリエAにデビューした。
同じシーズンに、U-15イタリア代表から初めて招集されたピルロは、その類稀なテクニックを見込まれ、すぐにチームの中心に据えられた。その後、毎年繰り上がる年代別代表でも不可欠の存在となり、彼は青いユニフォームに袖を通し続けた。
代表から招集される度、フィレンツェ郊外のコベルチャーノにあるナショナル・トレセンの門を何度くぐったことだろう。国歌「マメーリの賛歌」を何度口ずさんだことだろう。
チームメイトが変わっても、戦う舞台がレベルアップしても、ピルロはずっと三色旗を背負うチームの中心であり続けた。
FWベントラやMFガットゥーゾと'00年のU-21欧州選手権で優勝し、'04年のアテネ五輪ではFWジラルディーノと銅メダルも獲った。