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“フォアボールのギリシャ神”降臨。
ユーキリスと楽天の「出塁率」補強。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2014/03/26 10:30
メジャーでは観客からも愛され、ユーキリスの活躍には、ブーイングならぬ「ユーイング」という「ユー!」と叫ぶ応援がなされていた。
あの、ケビン・ユーキリスが日本でプレーする!
レッドソックス時代からのファンはもちろんのこと、メジャーリーグ・ファンならば、彼の独特の打撃フォームを公式戦で見られるのが楽しみで仕方がないだろう。
ユーキリスは1979年生まれの35歳。2001年にボストン・レッドソックスから8巡目で指名され、2004年にメジャーに昇格した。
顔面に蓄えられたひげ、そしてバットを担ぎあげ、先端を投手の方向に向ける「異端」の打撃フォームは、強烈な印象を残した。
ユーキリスの名前がアメリカの「全国区」となったのは、2003年のことだった。出塁率に注目してメジャーリーグの常識を覆したマイケル・ルイスの名著『マネー・ボール』のなかで、アスレチックス側がユーキリスに惚れこみ、なんとかトレードで獲得しようとする様が書かれているのだ。引用してみる。
「ユーキリス。
ギリシャふうの名前。“フォアボールのギリシャ神”。
昨年のドラフト8位指名。アスレチックスのスカウト陣が見逃していて、ポール(注・アシスタントGMのポール・デポデスタのこと)のパソコンが発掘した、最初の大学生選手。頭の古いスカウトたちが最後の抵抗を見せさえしなければ、2001年のドラフトでアスレチックスが3位指名しているはずだった。(中略)いま彼は2Aでおおいに活躍し、メジャー昇格への道をひた走っていた。四球を選ぶことと対戦投手を疲れさせることにかけて、世界記録を打ち立てそうな勢いだった」
4割を超える出塁率に確かな守備、そして一発も。
パソコンで才能を発掘された、新時代の選手。それがユーキリスだった。
実際に2004年にレッドソックスでデビュー。2006年からはレギュラーとして定着、2007年のワールドシリーズ制覇に大きく貢献し、同年にはゴールドグラブも獲得する。
メジャーに昇格してからも出塁率は群を抜いていた。最初のフルシーズンでのプレーとなった2006年の出塁率は3割8分1厘。2009年、2010年には4割1分を超え、本塁打も20本は計算できる選手となった。
おそらく、この時期がユーキリスのピークだったと思われる。まさに「チームの顔」となり、絶大な人気を誇った。
2011年からはやや数字が下降気味となって、2012年のシーズン途中にホワイトソックスへとトレード。昨季はヤンキースでプレーしたが、ケガの具合が思わしくなく、わずか28試合の出場にとどまった。