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松本山雅の「3番」を受け継いだ男。
田中隼磨、松田直樹の魂とともに。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byMATSUMOTO YAMAGA F.C.
posted2014/03/14 10:50
松田直樹から引き継いだ3番を背負い、松本の地で走り続ける田中隼磨。盟友は、彼の新たな地での活躍をどう見ているのだろうか。
横浜時代、ピッチの上で怒鳴りあった松田と田中。
かくして、J2からの再出発が始まった。
反町山雅では、走れなければ話にならない。キャンプからアクセル全開で臨み、原点に戻った気持ちで自分の肉体にムチをふるった。反町監督も開幕戦後の会見で「逞しさ、体の強さ、フィジカルの強さは(チームの)プラスになる」と田中を評価した。
背番号3を継承することで、松田が山雅でやってきた役割も田中は意識している。J1通算355試合の経験値をもとに、若手に対して気づいたことをアドバイスすることも少なくない。
「僕はこれまで山雅を支えてきた選手をリスペクトしているし、そのなかで自分が必要とされることをやっていきたい。要所、要所でね。勝利に対するマツさんの姿勢というものを見て僕は育ってきたわけだから、そういったものを少しでも伝えられればいいかな、とは思うよ。まあ、マツさんみたいにはいかないと思うけど」
勝利に対する執着心。松田に教えてもらった大きな宝だ。
マリノス時代、ピッチの中ではよくケンカもした。
消極的なプレーをしたら、顔を真っ赤にした松田が怒鳴り声を挙げる。
「オイ、隼磨! オマエ、自分で出ていって交代しろよ!」
気持ちに一気に火がつく。そして大先輩に、臆面もなく言い返す。
「アンタに言われたくないよ! 見ててくれよ、俺やるから!」
試合が終わったらもうノーサイド。さっきまでいきり立っていた松田のほうから「勝って良かったな、隼磨」と気軽に声をかけてくる。不器用なやり方だが、発奮させるための言葉でもあった。
2011年8月2日「マツさんが笑っていたように見えた」。
2011年8月2日。
松田がグラウンドで倒れたと知って、田中はグランパスでの練習後、車で松本へ向かった。居ても立ってもいられなかった。
集中治療室で対面を果たした松田に声をかけつづけた。
「マツさん、起きてください。マツさん、マツさん……」
松田の故郷・群馬で営まれた葬儀に、田中の姿は最後まであった。別れを惜しむように。
田中は言っていた。
「旅立つ前、あのときマツさんが笑っていたように見えたんですよ。いつものいたずらしそうな感じがして……」