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登竜門・GP2に伊沢拓也が参戦。
琢磨、可夢偉に見るF1の厳しさとは。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byHiroaki Matsumoto
posted2014/02/23 08:20
2月7日に開かれた「2014 Hondaモータースポーツ活動計画発表会」に先輩の佐藤琢磨とともに出席した伊沢拓也。
佐藤琢磨もの実績も、彼にシートを約束はしなかった。
可夢偉には'12年の日本GPで3位表彰台を獲得した実績がある。それでも、高い評価を得られなかった。にわかに信じがたいが、この話を聞いたとき、かつてF1の表彰台に立ったもうひとりの日本人ドライバーの姿が頭によぎった。それは佐藤琢磨である。
'04年に表彰台を獲得した琢磨だが、'05年はわずか入賞1回に終わり、シーズン中にも関わらず、BARホンダからその年限りでシートを失うことが発表された。そのときも、私はトヨタのF1チーム関係者に「トヨタは琢磨を獲得する意思がないのか?」と尋ねたことがある。トヨタの関係者はこう言った。
「いまのところ獲得する意思はありません。でも、それは彼がホンダのドライバーだからではなく、われわれが目指す結果を得られるドライバーだという確証が持てないからです」
琢磨は鈴木亜久里に次いで14年ぶり2人目となる表彰台を獲得。その8年後、日本人として3人目の表彰台に上がったのが可夢偉である。それでも、ホンダとトヨタが日本人に求めるレベルは、表彰台に1度上がっただけでは満足ではなかったのである。
そして、そのホンダとトヨタのスタッフの判断が間違っていたと言い切れないのは、2人にはホンダとトヨタ以外のチームからも声がかからなかったことが証明している。
F1はそれほどまでに厳しい世界である。
琢磨はシートを失った翌年の'06年に、ホンダの支援を受けて誕生したスーパーアグリのシートを得るが、チームの消滅とともに'08年限りでF1から姿を消すこととなった。
一方可夢偉は、トヨタがF1から撤退した後の2010年には自力でザウバーのシートを得るが、3年後にシートを喪失。今年ケータハムから復帰することに成功したが、ケータハムはいまだ入賞したことがない弱小チーム。ホンダやトヨタだけでなく、他チームからの評価も、表彰台に1度上がっただけでは十分ではなかったわけである。
F1はそれほどまでに厳しい世界である。そのことを伊沢はもちろん、私たちも理解しておかなければならない。