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ローマに首位追撃の秘密兵器が加入。
“Ninja”ナインゴランの数奇な人生。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byGetty Images
posted2014/01/22 10:40
当初はインテル入りが有力視されていたナインゴラン。ローマはこの補強を首位追撃の契機にできるか。
もう随分前から、MFラジャ・ナインゴランは、移籍市場の隠れた目玉だった。
長くラブコールを送り続けてきたユベントスを筆頭に、マンチェスター・CやCSKAモスクワといった国外の強豪が加わった争奪戦には、ミラノ勢とナポリも割って入った。
今冬、市場屈指の人気銘柄だった彼を2位ローマが競り落とした。首位ユーベ追撃に向けて、後半戦の起爆剤がどうしても必要だったのだ。
「首都ローマに来たからには、もちろんスクデットを狙う」
ナインゴランは、離島サルデーニャのカリアリから、ついに日の当たるタイトル争いの場へ打って出た。
どこから見てもアジア系の風貌なのに、ナインゴランにはベルギー代表歴がある。
26年前、ベルギー北部のアントワープでフラマン人の母リジィから生を授かった。インドネシア人の父親が、母国語で“帝王、君主”を意味するラジャという名を与えてくれた。
ラジャがまだ小さかったある日、父は母と息子を残して失踪した。理由は今もわからない。
「父は、俺と母を見捨てたんだ。長いこと、母と苦しい生活を送ってきた」
監督が変わっても、重宝され続けたナインゴラン。
幼いラジャは、王様どころか、今日のパンにも困る境遇に突き落とされた。彼は、貧困の中で地元クラブのKベールショットに入団し、サッカーを心の拠り所にした。
17歳のときに母の元を離れ、遠いイタリアへ渡った。移籍先の2部ピアチェンツァで瞬く間にレギュラーをつかむと、サルデーニャ島のセリエAクラブの目に留まった。
厄介な性格のチェッリーノ会長を戴くカリアリの監督職といえば、短命と相場が決まっている。
ただし、2010年から4年を過ごしたナインゴランは、どんな監督の下でも重宝された。「DF前のアンカーとして使ってみたら、飛びぬけていた」と、'10年当時のビゾーリ監督(現チェゼーナ)は述懐する。
「攻守の切り替えをごく自然にこなすし、ロングパスの精度が高い。両脚の1歩目の踏み込みが強いから、半径3mの競り合いで勝てる相手はまずいない。とにかくルーズボールを拾ってくれるから、いろいろなクラブが欲しがったのも道理だ」