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3年間でなぜ48位から世界4位に?
C組最大の難関、コロンビアの秘密。
text by
竹澤哲Satoshi Takezawa
photograph byAFLO
posted2013/12/13 16:30
ベルギーとの親善試合でもゴールを決めた絶対的エース、ファルカオ。今夏モナコに移籍した78億円の男が、日本の前に立ちはだかる。
南アW杯終了時点で、コロンビアは48位だった。
'10年、南アW杯終了時点でコロンビアの順位は現在の日本と同じ48位だった(日本の順位は12月13日時点)。そして'11年終了時は36位。それから2年間でこれだけ順位を上げたのは、南米予選における輝かしい成績によるものだ。'12年1月5日、南米予選を3試合戦った時点で解任されたリオネル・アルバレスに替わり、アルゼンチン人のペケルマンの監督就任が発表された。まさにその時から躍進は始まったのだ。
「コロンビアにはW杯へ出場するのにふさわしいメンバーが揃っている。一つの目標の下に全員がまとまれば必ず成し遂げられるはずだ」という就任時の言葉を、監督はその後も口癖のように繰り返してきた。
コロンビアは'90年大会から3大会連続でW杯出場を果たしながら、その後3大会にわたって出場を逃してきただけに、国民の間にもW杯への復帰を望む気持ちが強く、おのずと選手たちへの要求も大きくなる。
つまり、国全体が空回りしているような状況だったのだ。そこで監督がまず行なったのは、選手たちの自信を取り戻すことだった。ラダメル・ファルカオは「監督は僕らの戦う姿勢を変えたんだ。監督はとても内向的な人で、あまり多くは話さないのだけど、しなければいけないことははっきりと伝えてくれる」と振り返る。
コロンビアサッカーを変えたペケルマン。
ペケルマンはアルゼンチンで、特に育成年代の指導において、高い評価を受けていた監督だった。U-20W杯において3度('95年、'97年、'01年)優勝を果たしている。またアルゼンチンのA代表監督としても'06年W杯ドイツ大会を経験しており、ドイツにPK戦の末敗れたが、ベスト16の成績を残している。
U-20W杯2011年大会で活躍したハメス・ロドリゲスをすぐにA代表に入れるなど、若手選手の登用にも積極的だった。
ペケルマンがアルゼンチン人であったことも幸いした。これまで多くのコロンビア人監督が苦しめられてきた、周りからの雑音に邪魔されることなく仕事を続けることができたからだ。
コロンビアにおいて最大の発行数を誇る『エル・ティエンポ』紙は「2013年度、今年の人」に外国人でありながら、ペケルマン監督を選んでいる。その理由は「謙虚な姿勢で仕事に取り組み、重圧や脅かしにもめげず成功を勝ち取った。選手一人一人の長所を引き出し、優れた戦術により、勝たなければならない試合に勝利し、逆転しなければならない試合にも逆転した。コロンビアサッカー界に奇跡を起こしたのだ」というものだ。