野球クロスロードBACK NUMBER
高卒3年目で戦力外の「清原2世」。
勧野甲輝がトライアウトで貫いたもの。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2013/11/29 10:32
トライアウトでアピールに成功し、ソフトバンクとの育成契約にこぎつけた歓野甲輝。長打にこだわるスタイルを貫き、一軍へ上がることはできるのか。
長打狙いを貫いた結果、ソフトバンクと育成契約。
11月22日に行われた第2回合同トライアウト。宣言通り、参加者リストの中に勧野の名前があった。
しかし彼は、会場となるナゴヤ球場に姿を現さなかった。
それもそのはず。同日、ソフトバンクとの育成契約が決定。勧野は第1回の時点で、アピールに成功していたのだ。
それにしてもなぜ、勧野はこれほどまでに長打にこだわるのだろうか。彼はその理由をシンプルに、ひと言で答えた。
「僕には長打しかありませんから」
振り返れば、勧野の野球人生は長打とともにあり、また長打に翻弄され続けた。
「甲子園で輝けるように」
甲輝という名前の由来からして、野球の申し子を運命づけられたような男だった。
高1夏でPLの4番を任され、関係者の度肝を抜いたが……。
高校野球の名門・PL学園では1983年の清原和博以来となる1年生4番に抜擢され、'08年夏の南大阪大会では2本塁打、14打点。観衆、関係者の度肝を抜いた。
周囲はスーパー1年生の誕生に色めき立つ。勧野は自然とこう呼ばれるようになった。
清原2世。
名門PL、清原の後継者……。それは名誉であり、高いモチベーションを保つ太いバックボーンにもなりえる。だが、勧野にとって恵まれた環境と偉大な称号を冠せられたことは名誉である反面、少なからず重荷となっていった。
長打を狙うあまりアッパースイングになる。その結果、打球にラインドライブがかかり必然的に長打は減っていく。1年生の1月に腰椎分離症を発症する不運にも見舞われ、4番として出場した'09年のセンバツでは2試合で8打数1安打と精彩を欠いた。そして、不調のまま迎えた夏にはベンチ入りメンバーから外された。