ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
東京五輪を見据え進化した日本OP。
ゴルフ界は世界基準に追いつけるか?
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byNippon News/AFLO
posted2013/10/22 12:05
「日本オープン優勝で5年シードを得られたので、欧州ツアーでもたくさんプレーできるのが嬉しいですね」と海外での活躍にしっかり目を向けていた、優勝者の小林正則。
世界へ出たいならば、日本OPでアンダーパーを!
それなら、「むしろ100ミリに満たないラフから、しっかり状況を判断して、グリーンに乗せる、もしくは近くまで運んでみろ」という課題を与える方が、世界で通用する選手をあぶりだす上では有効な手段なのではないか……というテーマに挑んだのが、今回の日本オープンだったのである。
かといって、これで日本オープンが易しくなったというのは全く意味が違う。
佐野氏をはじめ大会は「逆を言えば、これでアンダーパーを出せなければ世界では通用しない」という、強いメッセージを事前に投げかけていたのである。
そんな要求に最大限に応えてみせたのは、初のメジャータイトルを手にした37歳の小林正則。そして、4日目の降雨の影響で21年ぶりに月曜日までに持ち越された最終ラウンドをともに最終組で戦った小田孔明だった。
初日は片山がトップタイでスタートし、2日目を終了した時点では、わずかツアー1勝、飛距離で劣る43歳の野仲茂が、開幕前の雨でボールが止まりやすくなったグリーンをロングアイアン、ユーティリティで見事攻略して単独首位に立った。
しかしこの“伸び伸びセッティング”で、最も恩恵を授かったのは、ツアーでも屈指のパワーを誇る小林と小田孔。30代後半に差し掛かる中、ともに海外挑戦への意欲が強く、特に小林は近年アジア、欧州で積極的に腕を磨いてきた選手だった。
目覚ましい活躍を期待された若手選手たちは沈黙。
最終ラウンドでは最後までドライバーを振りきり、7番以降の12ホールで5バーディを決めた小林。
「フェアウェイがすごく狭いわけではなかったのが僕にとっては有利に働いた」と設計サイドの意図を汲み取り、期待されたプレーを体現してみせたのである。
一方で、勢い目覚ましいはずの若手選手たちは苦しいプレーを強いられた。
日本オープンで20代の日本人選手が優勝した最後の例は、当時27歳の田中秀道が勝った1998年大会まで遡ることからも、確かに経験がものを言うトーナメントではある。