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<賞金女王への途上> 有村智恵 「思いきってもっと強く」
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byTaku Miyamoto
posted2010/11/11 07:30
異常なほどの過密日程で歯車は少しずつ狂っていった。
3月に国内ツアーが始まると、さっそく開幕戦で2位の好成績を収める。4月の海外メジャー、クラフトナビスコ選手権では宮里や上田らをしのぐ日本人最高の9位。翌週には日本に戻ってスタジオアリス女子オープンで早々と今季初優勝を飾った。シーズンの滑り出しはきわめて順調だった。
しかし、賞金女王に向けて手応えを感じれば感じるほど、気持ちが募れば募るほど、歯車は少しずつ狂っていった。
まずは過密日程だ。特に海外メジャーの続く夏場に有村は異常とも思えるハードスケジュールをこなした。7月には米国でのメジャー2試合を終えた翌週に日本にとんぼ返りして試合に出場し、その翌週から今度はフランス、英国と転戦。こんなペースでは肉体的にも精神的にもベストコンディションを維持できるはずがない。
「今年はすごくたくさんの試合に出たし、アメリカに行ったりしていつもよりたくさんの移動もあった。本来なら休まなきゃいけない時も、賞金女王を取りたいから少しでも稼ぎたいと思って休まずに試合に出ていたので、その影響で体が思い通りに動かないことが多々ありました」
変調をきたしたのは体だけでなかった。知らず知らずのうちにプレーの判断、ゴルフそのものにも違和感を覚えるようになる。
賞金女王を宣言していた有村には“ストップ韓国”の期待も。
「賞金ランクを毎試合気にしてしまって、すごくセーフティーなゴルフをするようになった。攻められなくなってしまった。優勝を狙うためにイチかバチかでいくんじゃなくて、優勝できなかったとしてもそこそこの稼ぎが欲しいっていう考えが出てきたんです。思いきったゴルフが本当にできなくて、これが賞金女王のプレッシャーなのかと」
夏が過ぎて秋を迎えてもシーズン2勝目が遠い。手をこまねいているうちに、例年以上の強さを見せる韓国勢がツアーを席巻していた。特に日本ツアー1年目のアン・ソンジュが圧倒的な強さで賞金ランクの首位に立ち、独走態勢を築いていた。賞金女王を宣言していた有村には、当然のように“ストップ韓国”の期待も寄せられるようになった。
しかし、アンを追いかけるためにぜひとも勝ちたかった高額賞金の国内メジャー第2戦、奈良で行なわれた9月の日本女子プロ選手権も結果を出せなかった。初日こそ3位と好スタートを切ったが、2、3日目とスコアを伸ばせずにあっさりと脱落した。
3日目の夜、有村は応援にきていた両親と食事に出かけた。自らが掲げた賞金女王という目標に縛られ、さらに韓国勢にも対抗しなければと窮屈にプレーする。そんな娘を見かねた明雄さんからこう諭された。
「お前は色々なものを背負い込みすぎだ。まだツアーを引っ張っていくような選手じゃないんだから。賞金女王になるのも25歳を過ぎてからでいいんだよ」
もどかしい思いは有村も同じだった。「こんなに縮こまったゴルフはわたしのゴルフじゃないし、こんなゴルフをするために賞金女王になりたいと言ったわけじゃない」。普段なら反発したかもしれない父の言葉にも「わかった。明日はわたし遼くんになってみる」と素直にうなずいた。