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原点回帰で5年目の“ドラ1”が花開く!
DeNA・松本啓二朗の謙虚な逆襲。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2013/06/24 11:35
父の松本吉啓も明治大学で投手として活躍した。「啓二朗」だった登録名を本名に戻した今季、レギュラーとして飛躍できるか。
ドラフト1位の評価に「プレッシャーは正直ありました」。
その評価が'08年ドラフトでの1位指名。期待に応え続けた松本にとって、それは必然とも言える成果でもあった。
それでも一抹の不安はあった。横浜(当時)入団当時は、「プレッシャーは正直ありました」と松本は言う。
即戦力外野手。将来のリードオフマン。低迷期に差し掛かっていたチームは、次代のスター候補生として松本に大きな期待を寄せる。彼もそれを真摯に受け止めすぎてしまったのだろう。アマチュア時代は噛み合っていた歯車が徐々に狂い始めてしまったのだ。
1年目の'09年はわずか22試合の出場に終わった。'10年はファームで3割1分の高打率をマークしたが、一軍での出番は34試合。翌年も、前年を上回る47試合に出たものの2割1分2厘と打撃では精彩を欠いた。
「今となって思うんですけど……」と、松本はそれまでの蹉跌を振り返る。
「大学でしていたバッティングのまま1年目は勝負してもよかったのかな、と。プロでは1、2番を任されるようなことを言われていたので、小さくまとまったバッティングを意識し過ぎたとはちょっと思いました」
そのことに気づかせてくれたのが、左ひじの手術でシーズンの大半を棒に振った昨年だった。
4年も結果を残していないドラフト1位に対し、周囲の目は厳しくなる一方。松本自身、昨年はリハビリがほとんどで時間を持て余していた分、悩むことも多かったし「しんどかった」と本音を漏らしたほどだ。
昨秋キャンプの「1日1000スイング」が自信を取り戻すきっかけに。
だが、原点回帰を図るには、ある意味ではいい機会だった。
松本の原点――。つまり、大学時代に培った思い切りバットを振り抜く打撃を今一度、自分の身に染み込ませることだった。
怪我が完治して臨んだオフの秋季キャンプでは、「1日1000スイング」を黙々とこなし自分の形を再構築する。復帰後、初の本格的な実戦となった台湾でのウインターリーグで打率3割3分3厘をマーク。松本の試みは奏功し、自信を取り戻す大きなきっかけとなった。
だからといって、易々とレギュラーとして試されるほどチームの外野手を取り巻く環境は甘くない。それは、本人も十分に自覚していた。
松本が入団した'09年以降、ポジション争いは常に激化しているからだ。