F1ピットストップBACK NUMBER
今季F1を制するのは師匠か弟子か?
マクラーレン出身エンジニアの戦い。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images
posted2013/02/21 10:30
スペインのへレスで繰り返されるテストを見つめるエイドリアン・ニューウェイ(左)とレッドブル・レーシング代表のクリスチャン・ホーナー。
ニューウェイの後を継いだフライもフェラーリに転出。
そのニューウェイの後を継いで、マクラーレンのF1マシンの開発をリードしたのが、パット・フライである。ニューウェイより6歳若いフライは、'87年に電気系の技術者としてベネトンでF1でのキャリアをスタートさせたイギリス人である。'93年にマクラーレンに移籍し、'02年にチーフエンジニアに昇格。チームメート同士の確執によって、タイトルは逃したものの、フェルナンド・アロンソとルイス・ハミルトンのコンビで年間8勝をマークした'07年のMP4-22はフライの作品である。
ところがマクラーレンはそのフライも失うこととなる。
技術陣の立て直しを図るフェラーリが食指を動かし、'10年にフライを獲得したのだ。その後、数名のエンジニアがフライの後を追ってフェラーリへ移籍。その中には、ニューウェイとともにレッドブルに移籍した戦略家のニール・マーティンも含まれる。
ウイリアムズ時代の弟子がマクラーレン技術陣の長に。
現在、マクラーレンの技術陣のトップに立つのは、テクニカルディレクターであるパディ・ロウだ。
ケンブリッジ大学を卒業して、'87年にウイリアムズに入ったロウの才能が開花したのは、'92年。ロウが開発したアクティブサスペンションが搭載されたFW14Bがグランプリ界を席巻したのである。ニューウェイにとって初のチャンピオンマシンの足もとを支えていたのは、じつはロウだった。
そして、ロウがマクラーレンに移籍した'93年、同時にベネトンから移籍してきたのがフライだった。ニューウェイが去った後、マクラーレンの開発を支えたのがフライとロウなのである。しかし、そのフライはフェラーリへ。イギリスの古豪マクラーレンをひとりで支える立場となったロウにとっても、レッドブルとフェラーリは単なるライバルというだけでなく、昨日までの仲間がいる、絶対に負けたくないライバルなのである。
'10年から繰り広げられている、新トップチームによる頂上決戦は、おそらく'13年も続くことだろう。レッドブルvs.フェラーリvs.マクラーレン――それはすなわちニューウェイ、フライ、ロウというかつてのマクラーレンで同じ釜の飯を食った師弟対決でもある。