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<“燃え尽き”を乗り越えて> マイケル・フェルプス 「水に戻ってきた8冠王者の最終章」
text by
及川彩子Ayako Oikawa
photograph byAFLO
posted2012/07/24 06:02
ロンドンで、より高い頂を目指すことへのためらい。
それまではオフの間に翌シーズンの明確な目標を立て、それに向かって進むことを日課にしてきた。だがロンドン五輪までまた4年間、水泳だけの日々を繰り返すこと、北京以上の高い頂を再び目指すことにためらいを感じていた。
なぜなら、「北京五輪以上は、ありえない」から。心臓が破裂しそうなほどの興奮、歓喜、安堵や涙。すべての場面を今でも明確に思い出すことができる。
北京五輪の競技3日目の4×100mフリーリレーは、まさに薄氷の勝利だった。フェルプスは第1泳者として出場し、2位の好位置につけた。しかし最終泳者に渡った時点でフランスとの差は0秒59。大差に諦めムードも漂ったが、アンカーのジェイソン・レザックが残り20mから驚異的な追い上げをみせ、タッチの差でフランスから勝利をもぎ取った。
その差、0秒08。
「今までの水泳人生で、最高のレースの一つだよ」
優勝を確認するとフェルプスは顔を真っ赤にし、雄叫びをあげると、何度も何度もガッツポーズをした。
7冠目となった100mバタフライのレースも「印象に残るレース」と話す。
スタートの号砲と同時に、予選で五輪新を出したセルビアのミロラド・カビッチに先行された。出遅れたフェルプスは7番手で折り返し、残り10mから猛然と追い上げ、ほぼ同時にタッチしたが、肉眼ではカビッチが先にタッチしたように見えた。
レースを見守っていた多くの人々が息をのんだ瞬間、速報掲示板の一番上にフェルプスの名前が映し出された。フェルプス50秒58、カビッチとの差はわずか100分の1秒。水泳史上に残る奇跡的な逆転勝利だった。
「水泳以外に情熱を注げる何かを見つける方がいいんじゃないか」
そんな北京での余韻に浸れば浸るほど、水泳を続けることに疑問を感じた。
「ロンドンまで4年間泳ぎ続けても、北京以上の感動を味わうことは絶対にないと思った。だったら水泳以外に情熱を注げる何かを見つける方がいいんじゃないかと考えたんだ」
ずっと寄り添ってくれていた水泳を裏切ろうとしている自分に気づいていた。だが、目標もなくただ水に入らなければならない苦しさから、どうしても逃げ出したかった。
水の怪物は陸にあがった。だが進むべき道は見つけられず、トンネルの中をさまようしかなかった。