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ラミレスの日米通算安打はスルー?
目指せ外国人初の日本通算2000本!
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2012/07/11 11:50
2010年には王貞治を超えるプロ野球新記録の8年連続100打点を記録しているラミレス。当時は2000本安打を達成した上で名球会入りし、「いつの日か日本のチームで監督をやりたいと思っている」と語っていた。
日本野球と真摯に向き合い、コツコツと積み上げた記録。
過去を振り返れば、アルー(太平洋)、ホワイト、クロマティ(ともに巨人)、パリッシュ(ヤクルト、阪神)と、アメリカで活躍した後に来日し、日米通算2000本安打を達成した外国人選手が4人もいるため、ラミレス自身、このように謙虚に振る舞っているとも受け取れる。
だがその一方で、日本でのみ築いたキャリアには絶対の矜持を抱いている。
「日本で日米通算2000本安打を達成した選手全員が、メジャーリーグで半分以上のヒットを打ってから来日しています。しかし、私は違います。日本だけでほとんどのヒットを打ちました。この記録は、それだけのキャリアを積まないと成し遂げるのはとても難しいのです。誰にでもできることではありません」
メジャーでわずか86本しか打てなかった男が、日本では1914本と安打を量産したため、ラミレスが誇るのも納得できる。
だが、ここまでに至る経緯を抜きにしてラミレスの数字のすごさを語ることはできない。
MVP2回、首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回という栄誉。
ヤクルトに入団した'01年、132三振と粗さを露呈したものの、打率2割8分、29本塁打と中軸として及第点の数字は残した。それでも本人は、「日本に来た当初は、長くやれるとは思っていなかった」という。
そのラミレスが10年以上も日本球界の第一線で活躍できたのは、常に相手を研究し、実行に移してきたからだった。
ペタジーニが抜け4番に座るようになった'03年頃になると、DVDで対戦相手を熱心に研究するようになり、本塁打、打点の二冠王。打率も3割3分3厘と、抜群のパフォーマンスを披露した。その後も、外角球に弱く、併殺打が多いことを指摘されれば、コースに逆らわずに打つことを心掛けるようになり、'07年には外国人選手初のシーズン200本安打をマークした。
'08年に巨人へ移籍してからも、始動を速め、ブレのないスイングにするためにグリップの位置を後ろに引くフォームの習得に励むなど研鑽を重ね、1年目から4番に座るなど打線の柱となった。これまでMVP2回、首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回の栄誉は、ラミレスが真摯に野球に取り組んできたからこそ、得られたものだった。