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野口みずきが4年ぶりにフルマラソン。
大阪国際女子にかける再起への願い。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byToshiya Kondo
posted2012/01/16 10:30
大阪国際女子マラソンへ向けての出場記者会見では「(五輪出場の機会では)最後かもしれないので強い気持ちで臨みたい」と語った野口みずき
戻ってきた。
いや、まだ走ってもいないのに、戻ってきたと言うのは早いかもしれない。だが、思わず言いたくなるほど、その姿は待望久しかった。
1月29日(日)に行なわれるロンドン五輪代表選考対象大会「大阪国際女子マラソン(正午から関西テレビ・フジテレビ系にて地上波生中継)」にエントリーしたアテネ五輪金メダリスト、野口みずきは、昨年の12月下旬、記者会見の場に姿を現した。
「自分が出るレースに向けて記者会見するひな壇もすごく久しぶりで、はやく走りたいなという気持ちが湧いてきています」
どこか緊張の面持ちながら、高揚も感じさせる表情で言った。
フルマラソンを走るのは、大会新記録で優勝して北京五輪代表を決めた2007年11月の東京国際女子マラソン以来、4年2カ月ぶりとなる。
北京五輪を欠場して以降、相次ぐ故障に悩まされてきた。
アテネ五輪で金メダルを獲得し、連覇を狙った北京五輪は、左足付け根の故障でレースの5日前に欠場を表明。
以降、野口は故障に苦しめられてきた。左足付け根の回復は思わしくなく、あらゆる手段を探って治療にあたってきた。ようやく癒えて、'10年10月、実業団女子駅伝西日本大会で2年5カ月ぶりにレースに復帰し、3区で区間5位と好走する。
だが、その2カ月後に行なわれた全日本実業団女子駅伝では3区で24人中20位にとどまり、レース後、左足舟状骨の疲労骨折という治すのがやっかいな故障をしていたことが判明する。再び治療の日々を過ごすことになり、その後の'11年6月には左臀部の肉離れも起こした。
北京五輪を控えた時期にインタビューしたとき、野口がこう語っていたのを思い出す。
「私はほんとうに走ることが好きで、好きでやってきたんですね」
それだけ走るのが好きで、マラソンに打ち込んできた選手だ。走りたくても走れないジレンマと苦しみは、想像するに余りある。ましてや、治ったかと思えばまた故障と、光明を見出すたびに突き落とされてきたのだ。