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谷本歩実 JUDOではなく柔道で。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byJMPA
posted2008/08/27 18:57
8月12日、柔道女子63kg級決勝。
谷本歩実は、楽しい気分に包まれていた。
対戦相手のドコス(フランス)は、ジュニアの頃から戦い続けた同い歳のライバルだった。戦いながら、いつしか親友と呼べる存在になっていた。
そのライバルは、この日を最後に階級を70kg級にあげることになっていた。
北京に乗り込むとき、こう願っていた。
「最後にもう一度試合をしたい」
願いどおり、しかも決勝の舞台でライバルと対峙している。場内には国内で戦っているのかと思うほど、日本からのたくさんの応援団が詰め掛けていた。男性の野太い「あ・ゆ・み!」、女性の「あゆみー!」と、声援が鳴り響いている。
楽しくならないわけがなかった。
ましてや、ここにたどりつくまでの日々を思えば。
アテネ五輪では豪快な立ち技を次々に決めて、オール一本勝ちで金メダルを手にした。
しかしそのあとは、世界の頂点に立つことはなかった。2005年の世界選手権は準優勝、'07年の世界選手権は3位。志してきた一本を取る柔道の限界なのか、と迷うときもあった。
北京を翌年に控えた昨秋には腰を痛めた。トイレにすらまともに行けなくなり、競技に戻ることが危ぶまれるほどの怪我だった。
ようやく年明けの2月から柔道着に袖を通したが、4月には北京五輪代表選考対象大会の全日本選抜体重別選手権で優勝を逃した。実績を買われて代表に選ばれたものの、自分にどこまでやれるのか。大会の直前には、初戦を勝てるかどうかを考えてしまうほどの不安にかられた。
それでも、最後には前向きな自分に戻れた。
「とにかくここに来るまでやってきたことすべてを出したい。今日のためにやってきたんだ。一本を取る柔道を貫きたい」
こうして迎えたのが12日だった。
いざ試合になると、不思議なほど体がよく動いた。初戦から準決勝まですべて一本勝ち。初戦が横四方固め、3回戦はポイントをリードされながら盛り返し上四方固め、準決勝では小内刈りで倒してから上四方固め。すべてが寝技だった。
それは以前にはない戦い方だった。腰の故障のあと、「立ち技ばかりでは腰の負担が重い」と、寝技の練習に熱心に取り組んできたことが実ったのだ。
そして迎えた決勝。試合が始まった。激しい気合いとともに立ち向かう。一進一退の攻防が続く。