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敗北感と涙の先に。 イチローを襲ったはじめての感情。
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph byKoji Asakura
posted2008/04/03 17:00
その直前の5回裏、イチローは一縷の望みをつなぐために、打席に立った。
2-2からの5球目、イチローはケビン・ミルウッドの外角のカーブを捉えた。イメージの中で完璧に捉え、ヒットにできるという揺るぎない自信を持ってバットを振りながら、イチローの打球はショートの正面に転がった。この結果が、イチローの心をかき乱したのである。当時のNumberに記したイチローの言葉と心情を、もう一度、思い起こしてみる。
「完敗でした。まさか僕が逆転した時点で、これだけの差をつけられて自分が負けるなんて、まったく想像していませんでした。僕が抜いたとき、相手がそこから打率を上げてくるのは不可能だと思ってましたし、よくてキープって想像していたんですけど、さらに1分近く上げてきたわけですから、驚きました」
イチローが「相手」といったのは、タイガースのマグリオ・オルドネスのことだった。去年の9月19日、イチローは打率を.354として、それまでトップを走っていたオルドネスの.353を抜いた。その日、イチローは「そりゃあ、一番になりたいよ」と、首位打者への意欲を口にした。すでに7年連続200安打を達成し、自分自身の状態にこれまでのどのシーズンとも違う手応えを感じていたイチローは、メジャー7年目のシーズン終盤、首位打者を狙って獲りにいくというプレッシャーを初めて自らに課し、それを敢えて言葉にしたのだ。これまでイチローは、ヒットを積み重ねていくことに価値を見出してきた。それは、打率に目を向けると、率を下げたくないという気持ちから打席に立ちたくなくなるかもしれないリスクを恐れてのことだった。しかし、敢えて打率を意識した、その理由はどこにあったのか。
「それは、自分の可能性を感じてたからでしょう。器という意味でね。それ(打率)を意識しても今シーズンの自分は変わらない。その上で(オルドネスを)倒したいと思ってたから、倒しに行ったんです。野球って逃げようと思えばいくらでも逃げられるじゃないですか。結果として負けていても自分の姿勢が前に行っていれば負けてない、みたいなことをいくらでも言えてしまうんです。だから、越えられるかどうかがわからないくらいのいろんなことを自分に課してきて、ほとんど、越えてきた。今回も、そうでした。.333から打率を上げられるのは、限られた選手です。しかも、これまでに首位打者を獲ったことのない選手が、そこから1分近くも打率を上げてくるなんてことは、僕には想像できませんでした」
去年を、考え得る重荷をいくつも自らに課すシーズンだと位置づけ、それをことごとく乗り越えてきたイチロー。彼は最後の最後に、相手のある首位打者を狙うということまでを自分に背負わせた。自分以外の敵を見ることは、イチローにとっては最大の重荷となるはずだった。
そして、敗れた。