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【動画・後編】「国内で満足している状態ではダメ」黒川虎徹が明かす河村勇輝から受けた刺激と“53分の1”から始まる日本代表への思い《アルティーリ千葉特集③》
前編では、今シーズンについて、B1のバスケットボールへの適応を軸に、その過程における変化と掴んだ手応えについて語ってもらったが、後編では、バスケットボールとの出会いから東海大時代の下積み、同級生の河村勇輝、そしてレイカーズで主力となった八村塁らNBAで活躍する選手から受ける刺激、そして自身の哲学に至るまで、バスケ選手としての本質に迫る。
「大事なところで決められる、チームを勝たせられるのが、本当のいいガードだ」
黒川虎徹は、指導者の父からそう言われて育ってきた。コート上で「常にその時の最適解を導き出してプレーを選択する」という習慣は、幼い頃から「勝つガード」を目指してきた黒川に自然と身についたものだ。
長崎県出身の黒川がバスケットボールを始めたのは小学1年生のとき。やがて父の影響でNBAのDVDを見るようになり、スティーブ・ナッシュやジェイソン・キッド、ジョン・ストックトンなど、1990年代後半から2000年代にかけて活躍した名ポイントガードたちのプレーを目に焼き付け、感覚を磨いてきた。
「その頃はどちらかというとパサー型の選手が好きでしたね」
同世代のライバルたちの存在も、より高みを目指す黒川にとって欠かせない。現在、同じBリーグで活躍する選手、NBAの舞台で奮闘する河村勇輝からは小学生時代に出会った時から刺激を受けてきた。その思いは今も変わらず。それぞれの場所で高みを目指す同世代たちが、黒川の天井を引き上げ続けているという。

25歳の若武者が感じる「もう若くはない」
中学、高校は他県の強豪校に身を置き、選手としての基礎を築いてきた。中村学園三陽中学ではラグビー出身の指導者のもとで体幹の強さ、東海大学付属諏訪高校では競技人生で大きな影響を受けた入野貴幸先生の指導を仰ぎ、「人生で最も練習量が多かった」という環境のなか、スタミナを身につけていく。
強豪・東海大学時代には、最初の2年間は試合に出る機会に恵まれなかった。それでも腐ることなく自分にできることをやり続け、大学4年時には指導者からシュートフォームの改善点を言語化してもらったことで、長年の課題だったシュート精度が一気に向上した。
「何万本も打ってきた感覚を言葉にしてもらった瞬間、あっ、これだ、となった」
現在25歳。「もう若くはない」と、常に危機感を持ち続けている。2026年度の日本代表候補53人に名を連ねたことについても、「53分の1に過ぎない。スタートラインにも立っていない」と冷静だ。ただ、その静かな言葉の奥には、確かな熱が宿っている。
チームを勝たせられるガードに。
父から授かったその言葉は、25歳になった今も、黒川虎徹の羅針盤であり続けている。

この動画では他にも次のようなことについて語っていただきました。
- 幼少期のことと父親の存在
- 中学・高校時代の原体験
バスケで幼少期から活躍する選手に共通するものは? - 東海大時代に得たもの
- 同級生・河村勇輝が引き上げてくれた「天井」
- キャリアで一度はやろうと決めていたプレーとは?
- 日本代表候補選出への受け止めと覚悟
- 理想のポイントガード像
6月8日から行われた第1次強化合宿でもメンバー入りした黒川。日本代表への第一歩を踏み出した彼の約30分に及ぶ動画を是非ご覧ください。(5月13日取材)
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