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【仰木彬の肖像】「長所を見て、短所は見てみぬふり」イチローが語ってきた“監督”の愛情と導き「あの強烈な一言には救われました」

2024/09/14
'94年9月、当時のシーズン最多安打記録に並び握手をかわす
名付け親であり、ブレイクを果たした年の指揮官。スーパースターが名前を付けずに「監督」と呼ぶときは、この男のことを指す。大リーグ移籍を果たしても、途切れることのなかった師弟関係の源泉。(原題:[レジェンドと師の肖像]イチローが語ってきた仰木彬)

 イチローのシアトルの自宅には写真立てが飾られている。そのフレームの中で穏やかな笑みを浮かべているのは仰木彬だ。

「(仰木)監督のすっとぼけている感じはすごく怖かったし、試されてるなと感じさせられました。そういうところは監督から学びましたね。僕はすっとぼけるのは得意ではありませんが、こうすれば人は勝手に考えるんだと捉えるようになったのは、監督のセンスに触れたからです」

 イチローが「監督」と呼べば、それは仰木のことを指す。他の監督のことはたとえば「王監督」「原監督」と、苗字がつく。

呼び出し音が鳴った、この世にいない恩師の携帯電話。

 仰木がこの世を去ったのは2005年12月15日だ。イチローはその1カ月前、仰木を見舞うために福岡へ出向いている。仰木はイチローの顔を見て涙を流した。そのとき、2人はうどんすきを食べに行く約束をしていたのだという。予定していたのは12月20日……その前日、イチローは仰木の携帯に電話を入れた。もちろん、すでにこの世にいないことは承知の上で、それを実感できなかったイチローは恩師の電話番号に発信してみたのである。

 すると、電話の呼び出し音が鳴った。

 イチローは驚いた。もちろん運命を変えられるはずもない。電話がつながったのは故人の携帯がそのままになっていたからだろう。しかし、イチローはどこかで仰木が生きているのではないかという錯覚に陥った。その翌年、'06年3月に行われた第1回のWBCで世界一となった直後、イチローはこんな話をしている。

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photograph by KYODO

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