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「将来はプロ野球の監督になるんよ」“神宮のスター”岡田彰布が早稲田で培ったリーダーシップの原点《恩師・石山建一が語る「帝王学」とは?》

2024/12/09
岡田(右)は現在は小松高(愛媛)の監督を務める副主将の宇佐美秀文(右から2人目)らと1979年春と秋のリーグ戦を制した
冴えわたった勝負眼の源流は早稲田大学時代に受けた徹底的な英才教育と経験にある。今も固い絆で結ばれた恩師と同級生が、ありし日のキャプテンのエピソードを回想する。(原題:[リーダーシップの原点]神宮のスター、岡田彰布をたずねて)

 早稲田での背番号は25。4年生になってからはキャプテンナンバーの10。

 岡田彰布は、早稲田の白いユニフォームが似合う、大スターだった。

 大阪・北陽高校(現・関西大学北陽高校)出身。甲子園は'73年夏に出場しただけで、知名度は全国区ではなかったが、'76年に早稲田に入学した岡田をすぐ抜擢したのは、当時33歳の監督、石山建一だった。

「体はそんなに大きくないよ。でも、ひと目見た瞬間から、『これはモノになる』と思ったね。バッティングでは何よりリストが強い。北陽では投手もやってたけど、これは打撃に専念させた方がいいと思ってコンバート。構想では三塁だったけど、松本(匡史・のちに巨人)がいたので、最初はレフト、打順は7番で起用したんだよ」

 1年秋、岡田は法政戦で江川卓と対戦、3安打を放って大器の片鱗を見せる。ただし、2年生になって5番に昇格した岡田は江川に抑え込まれ、後にこう話している。

「江川さん、7番と5番に投げる球が違うのよ。あの頃から、下位打線には手を抜いとったな(笑)」

 石山は、岡田が1年生の時から早稲田史上、いや東京六大学史上、最高の打者になれることを疑わなかった。

「だから、俺は岡田に言ったのよ。早稲田・谷沢健一の通算打率3割6分、法政・田淵幸一の通算22本塁打、明治・高田繁の7季連続ベストナイン、これをすべて、塗り替えるのを目標にしなさいってね」

 結果的にベストナインは5季連続、通算本塁打は20本で田淵に2本届かなかったが、通算打率3割7分9厘、通算打点81は40年以上経った今も破られていない大記録。'78年、3年秋には三冠王を達成した。

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photograph by SANKEI SHIMBUN

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