瀬古利彦、渡辺康幸、そして大迫傑―。日本を代表するランナーが羽ばたいていく一方で、チームの土台を支えてきたのは一般入試の選手たちだ。「W」の根底には、彼らの努力と可能性があった。2024年1~7月にNumberPREMIERで公開された記事の中で、人気の高かったものを再公開します。今回は箱根駅伝・早稲田大学の記事です。《初公開:2024年1月4日/肩書などはすべて当時》
そんな時代も、あった。
「僕らの代の長距離はスポーツ推薦、誰もいませんでしたね」
そう語るのは、時代が昭和から平成に変わった1989年、早稲田大学競走部に入部し、長距離部門に所属した富田雄也だ。
早大は箱根駅伝出場88回、総合優勝13回の名門校だ。いずれも歴代2位の記録である。早大では代々競走部に与えられたスポーツ推薦枠は3人から4人程度。箱根駅伝における競争が激化した近年はそのようなことはなくなったが、当時はその枠を短距離や跳躍種目が使い切ってしまい、長距離は0人ということも珍しくなかった。
富田は箱根路の途中、茅ヶ崎で生まれ育った。小さい頃から正月は沿道に駆け付け、声援を送った。箱根駅伝への憧れはあったが、身の程はわきまえていた。高校から始めた陸上では3000m障害で県大会2位が最高成績。本人いわく「雑草」だ。大学で本格的に争えるレベルではないと考えていた。ところが、高校3年時、第一志望の国立大学との併願で「記念受験のつもりで」と早大の人間科学部も受けた。
「そうしたら、受かっちゃった。だったら、せっかくなのでやってみようかな、と」
そんな軽いノリで入部できるのも早大の魅力だ。一方、早稲田ブランドの力もあり、推薦枠では超一流選手が入部してくる。雑草とエリートの両極端なハイブリッド集団、それが早大の特殊性だ。
富田の入部2年目、低迷が続く長距離部門に、のちに「早稲田三羽烏」と呼ばれるスーパートリオが入部した。櫛部静二、武井隆次、花田勝彦の3人だ。同時に長距離チームのコーチにはОBでもある世界の瀬古利彦が就任した。
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photograph by KYODO