#992
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<名門大学の原点を訪ねて>2009年東洋大学「ルーキー柏原と胴上げなき初優勝」

2019/12/21
佐藤尚(中央)は今年3月にコーチ退任後も東洋大のサポートにあたる。MGCへの出場も果たした山本浩之(右)はコニカミノルタで、大西一輝(左)はカネボウで、ともに現役を続けている。
2代目・山の神がその名を一躍轟かせた第85回大会で、鉄紺軍団は初出場以来77年目にして初優勝を果たした。悲願達成の裏には、出場すら危ぶまれたチームを立て直した4年生の存在と、監督代行の大胆な采配があった。(初出:Number992号<名門大学の原点を訪ねて>2009年東洋大学「ルーキー柏原と胴上げなき初優勝」)

 あのOKはどちらの意味だったのか。

 佐藤尚(ひさし)は今もそれを考えあぐねている。

「柏原、ちょっと早いぞ」

 当時、東洋大の監督代行を務めていた佐藤が1年生ランナーの柏原竜二に慌てて声をかけたのは、選手の後方につける運営管理車が箱根湯本を過ぎた頃だった。往路5区の5km付近に配置していたスタッフから「予定よりも約45秒早い」と報告を受け、それを柏原に伝えたのだ。

「そしたら、オッケーと、振り向きもせずに右手を挙げるわけですよ。僕にはそれが分かった(ペースを落とします)という意味なのか、それとも行けますという意味なのか、正直分からなかった」

 監督代行であるから選手の個性を知らなかったわけではない。そもそも柏原を東洋大にスカウトしたのは佐藤だった。入学後も一緒に練習メニューを組み、この日の上りに賭けてきた。快調に飛ばす柏原の背中を見ているうち、思わぬ言葉が口をつく。

「よし、行こう。前を追うぞ!」

山の神が誕生した年の出場危機騒動。

 2009年の箱根駅伝は、新「山の神」が誕生した大会として駅伝ファンに記憶されている。ルーキーの柏原が今井正人の記録を47秒更新する驚異の区間新記録を打ち立て、8人抜きの力走で東洋大を往路優勝に導いたのだ。だがこの年、東洋大が出場辞退の危機にあったことを、はたしてどれほどの人が憶えているだろう。

 チームに激震が走ったのは、年の瀬が迫った前年12月1日のことだった。

 2年生の長距離部員が電車内の痴漢で現行犯逮捕――。ニュースにもなり、佐藤ら大学関係者はその対応に追われた。当時、現場の指揮を執っていたのは川嶋伸次監督だったが、話し合いを経て、翌々日には引責辞任を発表する。チームも5日間の活動自粛を余儀なくされた。

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photograph by Hideki Sugiyama

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