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《2011年閉業》メジロ牧場「女たちがつなぐDNA」…ボサツ、ラモーヌ、ドーベルら競馬史に残る血脈と「メジロのばあちゃん」北野ミヤの強運を辿って

2024/05/05
 2011年5月20日、メジロ牧場の名前が馬主名簿から消えた。オーナーブリーダーの雄として多くの駿馬を輩出した名門には、黎明期から連綿と受け継がれてきた名牝の血脈があった。クインからはじまり、ボサツ、ラモーヌ、ドーベル――。競馬史に残るメジロの偉大な足跡と“これから”を追った。発売中のNumberPLUS「名馬堂々II 競馬ノンフィクション選集」より、特別に転載します。(原題: [名牝の系譜] メジロ牧場「女たちがつなぐDNA」初出は1993年10月発売のNumber326号)

 2011年の5月、メジロ牧場が44年に及ぶ歴史に自ら幕を下ろした。個人のオーナーが自分で馬を作り、自分の勝負服の騎手を乗せて走らせるオーナーブリーダーの時代は終わりつつあるのかもしれない。白地に緑のラインの目にあざやかな勝負服の騎手を戴いて疾走した馬たちの名前が浮かんでくる。武豊とメジロマックイーン。横山典弘とメジロライアン。メジロ牧場の馬たちは決して華やかな血統を誇ったわけではない。マックイーンもライアンも父は国産だった。父仔三代の天皇賞制覇は重厚な3200mが舞台だった。ダービーではあと一歩届かず、2着が4回ある。力強いがどこかあか抜けない男の牧場。

 しかし、メジロにはますらおぶりと対照的な牝馬の系譜、たおやめぶりともいうべき流れがあることも忘れてはならない。メジロ牧場には美しく、繊細で芯の強い牝馬たちと、それをうしろで支えた母のような女性の存在があった。

メジロクインからはじまった大きな血の流れ。

 メジロ牧場の馬で、現在のGIに相当するレースを勝った最初の馬が牝馬だったことは知られてよい。メジロボサツは浦河の冨岡牧場の生産馬だったが、母はメジロ牧場の創設者、北野豊吉の所有馬であり、メジロボサツもメジロ牧場の馬としてデビューし大活躍した。400kgにも満たない小柄な身で、牡馬のクラシック候補たちを向こうに回し1965年の朝日杯3歳ステークス(現在のフューチュリティステークス)を勝った。

 メジロボサツは難産で、母メジロクインはメジロボサツを産み落とすとそのまま息を引き取った。馬名のボサツは、母が仏になったことからつけられたといわれる。メジロボサツが強いのは仏になった母の加護があるからなどとささやかれた。桜花賞、オークスは健闘しながらあと一歩及ばなかったが、朝日杯のほかに函館記念などの重賞を勝ち、母になっても弥生賞などを勝ちクラシック候補といわれたメジロゲッコウなどの活躍馬を送り出した。メジロボサツの母メジロクインからはじまる血の流れはやがてメジロ牧場を支える大きな川になっていく。しかし、そのほとりに大きな花が開くのはまだだいぶ先のことだった。

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photograph by Seiji Sakaguchi

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