プロ初マラソンとなった3月の東京までのプロセス、パリ五輪で抱いた感情、妻・一山麻緒や大迫傑という存在から受ける刺激など、現在の“ランナー鈴木健吾”を構成する様々な要素について、じっくり語ってくれた。<前後編の2本立て/後編はこちら>
「自分は沿道で日本の小旗を振りながら見ていて、『僕は何をしているんだろうな』って。でも、やっぱりすごいなっていうか…子どもみたいな感想ですけど、本当に走っている選手がかっこいいなっていう気持ちになりましたね」
2023年10月、MGC。パリ五輪のマラソン代表の座をかけて争われたレースで、日本記録保持者(当時)の鈴木健吾は途中棄権という結果に終わった。小山直城、赤崎暁、大迫傑が上位3位までを占め、序盤から大逃げを打った川内優輝が4位と際立った存在感を見せたのと対照的に、雨中で棄権した鈴木の背中は中継の画面でもとても小さく見えたのが印象に残っている。

その1年後、鈴木はパリ五輪を現地で観戦していた。ライバルたちが走る男子マラソンを見るため、そして妻・一山麻緒が出場する女子のマラソンを目に焼き付けるためだった。
アップダウンの多いレース中盤、「日本の小旗を振りながら」沿道でレースを目に焼き付けていた鈴木は当時の感情を冒頭のように振り返った。悔しさ、羨望、無力感、シンプルな憧れ。心の中では複雑な感情が入り混じっていたが、その一方で希望のようなものも感じていたという。
「やっぱり地力がないと、この舞台で戦うのは難しいなと思った一方で、赤崎くんが入賞して、大迫さんもなんだかんだ言いながら前の方で走っている姿を見ると、オリンピックはチャンスがあるな、と。本当にバッチリ合わせられたらメダルも夢ではないなと思ったんです」
この時に、改めて心に抱いた「オリンピック」という舞台への強い思いが、昨秋のプロランナーへの転向に大きく作用していたという。
「社会人として競技を続けていく中で、何が一番の目標なのか。学生だったら箱根駅伝だったりすると思うんですけど、いま自分の中で何が一番やりたいのかを考えた時に、やっぱりオリンピック、マラソンでオリンピックに出るということだったんです」
決して富士通というチームに対して不満を持っていたり、駅伝を走ることを義務づけられた実業団選手という立場に違和感を抱いていたわけでもない。むしろ富士通は「居心地が良かった」という。だが、その居心地の良さに浸っている自分に気がついた時に、もどかしさを覚えたという。
「自分の中で、今のままでいいのかなって。日本記録を更新してから、もう3、4年経っていたので、自分としては、むしろ去り際ぐらいな状況かなと思う時期もありました」
「去り際」とはどういうことなのか。動画では、このプロ転向に至るまでの「迷い」について、30歳という年齢が教えてくれる時間的な制約について、しっかり向き合って語ってくれている。

背中を押した「ロスに連れて行ってよ」
インタビュー動画・前編では以下のトピックについても話をしてもらっている。
- 3月の東京マラソンは「最低限の合格点」
- 東京でペースメーカーは遅かったのか?
- レースに向けた練習内容は変わったのか?
- 富士通退社前、福嶋総監督にしていた相談
- 2021年ニューイヤー駅伝への強い思い
- プロ転向に対する妻の反応は?
- 選手として最も苦しかった時期「悪循環でした」
- 世界陸上オレゴン大会以降の「焦り」とは?
- 気持ちが吹っ切れたレース
- 背中を押した「ロスに連れて行ってよ」
プロとしての“覚悟”が滲みつつも、アスリートとしての自由も手に入れた鈴木の合計約50分のインタビュー。続く後編と合わせて、ぜひお楽しみください。
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