ユニフォーム姿の横浜ナインが見守る中、同期入団の石井琢朗が弔辞を読んだ。しかしほとんど声にならない。
7月15日に直腸ガンのため41歳で他界した、横浜の打撃投手・石田文樹の葬儀のことである。甲子園を沸かせながら、鳴り物入りで入学した早稲田大を中退。社会人を経て横浜に入団したものの、プロの世界では思うような結果を残すことができなかった。
「自分が恩返しできることは裏方としてチームを支えること」と、打撃投手として黙々と投げ続けた、誠実で明るく、チーム愛にあふれた男だった。
石田文樹に初めて会ったのは、高校3年生の夏の甲子園前だった。石田の通う取手二高の監督は木内幸男(現・常総学院高監督)。父母会の席上で「今からいくら勉強しても東大には入れない。ただし、東大に入学するよりも難しい甲子園に出場できれば、有名な大学に入ることができる」と野球に専念できるように、ハッパをかけていたのを思い出す。
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