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「捨て身の“必死のパッチ”でした」キャプテン宮本恒靖が語る2004年アジアカップ優勝と超アウェイという「逆境」《次期JFA会長の告白》
2024/02/17
2004年夏、完全アウェイの地で開催されたアジアカップ。日本代表の全カテゴリーでキャプテンを務めてきた男は、絶体絶命の危機を迎え、改めてその覚悟が試された――。日本サッカー界の新リーダーが、逆境で得た教訓を語る。
逆境にあるときにこそキャプテンの力量が試される。目指すべき方向にいざない、乗り越えようとエネルギーを注ぎ込むことでチームとしての成長が待っている。それを繰り返して今の日本代表がある。
過去にこれほど逆境という表現がピタリとはまる大会があっただろうか。
2004年夏、中国で開催されたアジアカップ。グループステージの舞台となった重慶は旧日本軍が爆撃を行なった歴史的な背景から反日感情が根強い地域とされ、日本の対戦相手に拍手と声援が送られる一方、「招かれざる客」にはありったけのブーイングが注がれた。それでも日本代表は中村俊輔、川口能活以外は国内組というメンバー構成のなか決勝トーナメントに進出し、同じく重慶での準々決勝でヨルダン代表を迎える。先制されながらも鈴木隆行のゴールで追いつき、120分間でも決着がつかないままPK戦を迎えた。
先攻の日本は1人目の中村、2人目の三都主アレサンドロがピッチに足を滑らせて立て続けに外してしまう。主将の宮本恒靖が主審にエンド変更の必要性を訴えて、タフネゴシエーターぶりを発揮する。そして奇跡が起こる――。
アウェイの雰囲気に「これはモチベーションでしかない」。
アジアカップからさかのぼること7カ月。宮本は日本で開催された東アジアサッカー選手権の際にジーコ監督からキャプテンに任命された。それまで中田英寿がキャプテンマークを巻いてはいたものの、国内組のみの活動も多く、世代別代表やガンバ大阪でもキャプテンを務めてきた彼にお鉢が回ってくるのは自然な流れでもあった。
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photograph by Takuya Sugiyama