2004年の夏。松坂大輔にとってのアテネ五輪はシドニー五輪のリベンジの舞台でもあった。プロアマ混合チームで持ち帰ることができなかったメダルをオールプロで勝ち取りたい。しかも金メダルを――酷暑の11日間で9試合という過密日程の中、キューバなどの侮れない相手が並ぶ。松坂は2試合に先発することになっていた。
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オールプロのアテネ五輪は、プロアマ合同チームで戦ったシドニー五輪とはまったく違うプレッシャーがありました。メダルを獲ることへの周囲からの期待はより強くなった気がします。シドニーのときにYAWARAちゃん(柔道の谷亮子)が言った「最高で金、最低でも金」じゃないですけど、オールプロで挑む野球は、優勝して当たり前、という雰囲気がありました。
でも野球って何が起こるかわからないじゃないですか。10回戦えば9回勝てる相手でも、1回の負けがこのタイミングで来るのか、みたいなことがある。アテネは勝負事に絶対はないことを痛感させられた大会でした。シドニーとアテネに続けて出たのはノリさん(中村紀洋)と僕だけでしたが、僕らにはシドニーでメダルに届かなかった悔しさがありました。しかもあのときは予選、準決勝と続けてキューバに負けています。オリンピックの強豪と言えばキューバですから、アテネでは何としてもキューバに勝ちたかった。もちろん僕もキューバ戦で投げたいと思っていました。
でも上原(浩治)さんから「キューバは左に弱いから先発は和田(毅)だろ」と言われていましたし、僕のほうから投げさせてくれなんて言えるはずもありません。だから大野(豊、投手コーチ)さんに「大ちゃん、キューバだから、頼むよ」と言われたときは嬉しかった。試合の日は投げる前からワクワクしていました。野球人生でキューバに投げるのは初めてでしたからね。
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