大卒で同世代が入ってきたプロ5年目。ライバルたちの存在が刺激となり、16勝7敗の好成績でシーズンを終えることになる。その後のアテネ五輪では、和田毅らとともに頂点を狙う。
プロ5年目の松坂大輔にとって“彼ら”は意識せざるを得ない存在だった。高校から大学へ進んだ同学年のピッチャーたちが2003年、一気にプロの世界へ飛び込んできたのである。新垣渚、木佐貫洋、久保裕也、長田秀一郎、そして和田毅――“松坂世代”のルーキーたちだった。
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あのときのドラフトは気になって、テレビで見ていました。毅と渚は自由獲得枠でホークスから指名されることはわかっていましたが、同じリーグですし、やっぱり刺激になりました。プロでも大学でも4年という時間は平等に与えられていたはずですが、僕はプロでイチローさん、ノリ(中村紀洋)さん、松中(信彦)さんたちと戦って、勝ちを積み重ねて(51勝)きました。だからこそ彼らには絶対に負けたくないし、負けるわけにはいかないという意識が強く働いたシーズンだったと思います。
痛めたヒジはオフの間に回復、5年目はキャンプからヒジに一切の不安なく腕を振り切れていました。じつはその前の何年かはずっとイヤな感じを抱えながら投げていたんです。でも、あの年は久しぶりに腕が振れる感じがありました。フォームへの意識をガラッと変えたからです。ヒジを痛めたこともあって、より効率よく力を出すほうに方向転換を図ったのがあの年でした。僕はプロ2年目からフォームに捻りを加えてパワーを生み出そうとしていました。捻ると、その反動で身体が開くのを抑えなければならなくなるんですが、それさえできれば、捻ったほうが出力は上がります。
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photograph by Kiichi Matsumoto