驚異の奪三振数を誇る左腕は、最激戦区・神奈川で散った。絶対エースはなぜ、聖地への道の途上で敗れ去ったのか。関係者への取材を通して見えてきた、挫折の理由とは――。(初出:Number834号[早すぎた敗北の理由]松井裕樹「負けるべくして 負けた夏」)
薄い雲の隙間から顔をのぞかせた太陽が、背番号「1」を優しく照らしていた。打球の行方を見届けたエースは両手をひざにつき、無人のライトスタンドを見つめたまましばらく動かなかった。
7月25日、横浜スタジアム。全国高校野球選手権神奈川大会の準々決勝。桐光学園高校対横浜高校の一戦には、内野席だけで「2万5000」の観衆が詰めかけていた。
無数の視線が交錯する中、桐光学園の松井裕樹が逆転の2ランを浴びたのは終盤の7回裏。3─2となったスコアは結局動かぬまま、ゲームセットの瞬間は訪れる。この夏、誰よりも甲子園での躍動を期待された左腕は、横浜ナインとおざなりな握手を交わした後、自軍ベンチに戻る途中で顔を覆った。
去年夏の甲子園で、松井は1試合22奪三振という、不滅とも思える大記録を打ち立てた。それがなぜ、今年は神奈川のベスト8で姿を消さねばならなかったのか。
この春以降、桐光学園の戦いを追うと同時に、松井の過去を知る関係者に取材を重ねてきた。そして今、思うのだ。松井は敗れるべくして敗れた――と。
しゃべりだしたら止まらない少年は、マウンドでは別人に。
花咲徳栄高校の3年生、楠本泰史は松井と同じ小中学校に通い、同じクラブチームでプレーした旧知の仲である。まさしく成長期にあった松井の変化を間近で見ていた。
「小6の4月に、裕樹のいた山内小に転校したんです。うるせえやつだなあっていうのが第一印象(笑)。ほんとに、しゃべり出したら止まらないんですよ」
だが、少年野球チームの「元石川サンダーボルト」で見た松井は別の顔を持っていた。
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photograph by Nanae Suzuki