
技術に優れながらも全国的には無名だった小柄な中学生は、九州の名門での日々によって、「高校ナンバー1ガード」へと大きく飛躍した。その3年間の軌跡を、恩師と同級生の証言で辿る。(原題:[最強世代の記憶]福岡第一高校「青春の覚悟」)
河村勇輝が高校3年間の大半を過ごした場所は、福岡第一高校と細い道路をはさんで隣り合った第一薬科大学の体育館だ。
監督の井手口孝の案内で、コート横の監督室に入る。壁という壁が賞状や盾や集合写真で埋め尽くされた、緑を基調とした室内。赤と水色に彩られた一角は嫌でも目に付く。言わずもがな、日本代表とグリズリーズの河村のグッズだ。

「うちの賞状が増えたら廊下に出します」
井手口は軽口を叩いたが、ガラスケースに飾られたそれらはしっかり来客者用ソファの目の前にディスプレイされている。
河村のバスケットボールキャリアを語るうえで、福岡第一で過ごした3年間を紐解かないわけにはいかない。
1年冬のウインターカップでセンセーショナルな全国デビュー。2年時はU18日本代表の活動で不在だったインターハイこそ逃したものの、混合チームで挑んだ国体とウインターカップで優勝を収め、「高校ナンバー1ガード」に君臨した。
向かうところ敵なし状態だった3年時は、B3クラブを倒して天皇杯を勝ち上がり、千葉ジェッツと好ゲームを展開。ウインターカップをぶっちぎりで制した直後に特別指定選手として三遠ネオフェニックスに加入し、「高校生Bリーガー」として鮮烈な活躍を見せた。

福岡第一に進学していなければ今日の河村勇輝は存在しない
福岡第一に進学していなければ、今日の河村勇輝は存在しない可能性が高い。
ただ、それはおそらく井手口が手取り足取り育てたから、ということではない。
井手口は言う。
「うちは彼がのびのびと育っていく環境を整えただけっていう感じなんですけどね」

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