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「静かな力を感じさせる〝先生〟」フィリップ・トルシエが語ったオシムへの尊敬「思うに彼はタコに似ていた」

2023/05/06
かつて日本代表監督という大きな使命を任された二人の外国人指揮官。タイプこそ違えど、向いている方角と哲学には多くの共通点があった―。この世を去ったオシムに思いを馳せて、胸に抱く尊敬の念を語る。

 私がプロデビューしたのは1976年(アングレーム、フランスリーグ2部)でイビチャ・オシムの引退は78年(ストラスブール、77年に2部から1部に昇格)だった。だから同じピッチに立ったことはないが、オシムはテクニックに秀でた偉大な選手だった。思うに彼はタコに似ていた。タコのような長い脚で、彼がボールをキープすると誰も奪えない。身体でスクリーンして相手をボールに触らせない。その際に大きな身体と長い脚が大いに役に立った。

 もうひとつの印象はゆったりしたプレーだ。当時は今日とは異なりフィジカルやアスレチックの強化をほとんどしなかった。重視されたのはテクニックだが、彼のようなテクニシャンは多くはなかった。のんびりした感じの大きな選手がテクニックを駆使してボールをキープする。それが選手としてのオシムが喚起するイメージだ。

 EURO'68準々決勝でオシムとユーゴスラビアがフランスに与えた衝撃は強烈だった。マルセイユで引き分け(1対1)の後、ベオグラードでの第2戦は1対5の完敗。食い入るようにラジオを聞いていた私は、わずか15分で0対3とリードされて言葉を失った。両者の差は歴然で、フランスはユーゴに遠く及ばなかった。

 だが、オシムは、選手以上に監督としてサッカー界に大きなインパクトを与えた。ユーゴスラビア代表監督としてイタリアW杯に出場し、才能溢れる選手たちと輝かしい結果を残したが、私の知るオシムはもっぱら彼が日本に来てからだ。私とは入れ違い(トルシェが日韓W杯後、日本を離れたのは2002年、オシムのジェフ市原監督就任はその翌年)だったが、W杯の後も私は何度も日本を訪れたし仕事もしたから、私たちは何度か出会う機会があった。

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photograph by Takuya Sugiyama
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