1月4日、イビチャ・オシムは、大勢のファンや関係者に惜しまれながら、日本を離れた。日本に滞在した6年間に、彼が残した足跡はあまりにも大きい。だが、それ以上に、われわれを苛むのは、日本がオシムを失ってしまったという喪失感である。
失ったのは、たんなる有能なひとりのコーチではない。ひとつのサッカー観であり、ひとつの可能性―彼の語りかける言葉が、日本サッカーの発展に寄与する。あるいは日本人のメンタリティにも影響を与える―であった。われわれは今も、オシムの言葉を欲している。そしてオシム自身も、まだまだ語り尽くしてはいないと感じている。
そうであるからこそ、われわれはオシムに問いかける。サッカーについて、日本について、人間について⋯⋯。
その夜、オーストリア・グラーツのリストホールは、700人を超えるゲストと、さらに多くの関係者で賑わっていた。外は粉雪が舞い、寒さが鋭い痛みとなって頰を刺す。だがホールの中は、人々の発する熱気で汗ばむほどである。シュトルム・グラーツのクラブ創立100年を記念する式典。夜7時からはじまったセレモニーは、歴代会長や監督、スタッフ、選手、サポーターなどの表彰が延々と続く。
ステージ前の中央テーブルだけ人がいない。オシムが家族とともに、そこに着席したのは、式が始まって1時間が過ぎたころだった。とたんに彼の周囲に人垣ができる。テレビ局が表彰式そっちのけでインタビューをはじめる。
クライマックスは最後にやってきた。オシムの熱烈なファンである作家のゲルハルト・ロートが、30分かけて長いオマージュを読みあげた後、全員のスタンディング・オベーションに送られながら、オシムが登壇する。なりやまない拍手と交わされる抱擁。目に光る涙。
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