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「一番驚いたのはこの私だ」ジェフ“初戴冠”の記憶〜 オシムが振り返った'05年ナビスコ杯決勝〜

2023/05/05
オシムが率いたジェフ千葉にとって、唯一のタイトルとなったのが'05年のナビスコ杯である。監督に就任して3年目、当時64歳の指揮官は、頂点と長らく無縁だった弱小チームをいかにして覚醒させ、そして栄冠へと導いたのか。満員の晩秋の国立競技場で行われた、彼の最高傑作の1つであるゲームの真実が、遠くサラエボの地で語られた。

 2月のサラエボは、思いのほか暖かかった。雪は街中に残っているものの、寒波が去り、春の兆しを感じさせる穏やかな陽気である。イビチャ・オシムとは、昨年12月に東京で会って以来、2力月ぶりの再会となる。いつものようにアシマ夫人に付き添われて、われわ れの待つホテルに到着したのは、約束の夜7時を少し過ぎたころだった。

 「リハビリの後、休んでいたら遅くなった。申し訳ない」

 理学療法士が1日おきに家に訪れておこなうリハビリは、かなりハードであるという。それにも音をあげることなく積極的に取り組んでいるのは、いつの日かまたピッチに立ちたいという切なる思いがあるからだろう。

 今回のインタビューのテーマはベストゲームである。数々の名勝負を繰り広げてきたオシムにとって、いったいどの試合がベストといえるのだろうか。

 日本での試合でまず思い浮かぶのは、2005年ナビスコカップ決勝、ジェフ千葉対ガンバ大阪戦だ。オシム率いるジェフと西野朗が指揮を執るガンバ。両チームが見せたクオリティは、'93年に開幕したJリーグが到達した、ひとつの頂点のように思えた。何よりも、当時のジェフのようにプレーしたチームは、後にも先にも見当たらない。

「あれがジェフの最初のタイトルか?そういう試合は、具体的な形で記憶に残すべきだ。ほったらかしにして忘れてはいけない。決勝に至るまでの道のりも重要だった。それまでに多くの努力があり、私生活などさまざまなものを犠牲にして、膨大な時間とエネルギーを費やしてあそこに至った。とても長いプロセスだが、最後には誰もが幸福な気持ちになった。それこそが大事なことだ」

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photograph by Tamon Matsuzono
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