一大事業だった海外参戦は、今やカジュアルに。その蔭に検疫や輸送などを取り仕切る裏方がいる。世界へ飛ぶ日本馬を支える仕事の実際を聞いた。
今や当たり前となりつつある、日本調教馬の国外での活躍。その背景として、日本調教馬が強くなっただけでなく、遠征への慣れも大きな要素を占めている。
遡ると、戦後、日本調教馬による国外挑戦は、1958年のハクチカラの米国長期遠征に端を発する。旅客機をチャーターし、座席を取り外して積み込んだという。
'95年には、JRAが国外主要競走での好成績に報奨金を設定し、国際招待競走を開催する主催者も増えたことで、国外遠征が活性化。'99年にはエルコンドルパサーが欧州への長期遠征を行った。当時は、現地の廐舎を間借りする事例がほぼなく、飼料や敷料(しきわら)、獣医などの手配や、調教施設の利用などが全て一から手探りで行われた。これらがベースとなって日々進化しながら現在へと繋がっている。
このように、海外挑戦には輸送や現地での滞在、主催者との折衝なども伴う。馬主や調教師をはじめとする廐舎関係者だけでは、当然簡単なことではない。そうした際に大きく貢献しているのが、「競走馬海外遠征コーディネーター」の存在だ。
「ハクチカラからエルコンドルパサーまでで約40年かかった進歩は、そこから現在までの約20年で、さらに大きく進歩したと思います」
こう話すのは、海外コーディネーターとしてこれまでにフランス、米国、オーストラリアなど、世界各地への遠征をサポート・帯同してきた田中敬太氏である。遠征に関する進歩についても、田中氏は実際に現場で触れてきた。
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photograph by Shigeo Okada(Illustration)