ここ7年、ダービー馬産駒がダービーを獲り続けるなか、今年は米国産名スプリンターの仔も栄誉を狙っている。では過去のダービーサイアーはどう変遷してきたのか。歴史を紐解けば、輸入種牡馬のトレンドが見えてくる。
日本ダービーで二冠制覇に挑む皐月賞馬ジオグリフの父ドレフォンは、現役時代、米国の名スプリンターだった。走ったのは7ハロン(1ハロンは約200m)以下のダート戦のみ。もちろん10ハロンのケンタッキーダービーには出ていない。最大の勲章はダート6ハロンのブリーダーズCスプリントで、そこで米国の短距離界の頂点に立った。日本ダービーの半分の距離だ。
その日本ダービーでは現在、7年連続で日本ダービー馬の産駒が優勝している。2007年以降の15年間では11頭。しかしそれ以前は、勝つのは輸入種牡馬の産駒ばかりで、75年間で4頭しか出ていない。古くからある「ダービー馬はダービー馬から」の格言は、ようやく現実のものとなったばかりで、そして輸入種牡馬ドレフォン産駒のジオグリフが挑もうとしているのは、そんな時代の日本ダービーなのだ。
日本ダービーは1932年、英国のダービーステークスを範として作られた。そして日本は、1947年英国ダービー馬(以下、ダービー勝利年の数字のみ)パールダイヴアーを皮切りに、これまで19頭の英国ダービー馬を種牡馬として輸入してきた。
だが皮肉なことに、その中から出た日本ダービー馬はたった1頭。19頭中、5頭目のハードリドン(1958)を父に持つロングエース(1972)しかいない。
海外競馬情報の専門家で、若い頃には馬産地で働いていたこともある奥野庸介は、当時、そうした種牡馬を興味深く見たり、扱っていた者の話を聞いたりしたという。
特製トートバッグ付き!
「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
photograph by AFLO