不思議なことに、彼のことを誰も「中年の星」とは呼ばない。50歳になったというのに、いつまでも青年の面影を残している。
19歳竜王、七冠制覇、永世七冠、国民栄誉賞。平成という時代に棋界の象徴として君臨した羽生善治は、昨秋からの竜王戦七番勝負に挑戦者として臨んだ。和服に袖を通す2年ぶりの檜舞台。豊島将之との決戦でタイトル通算100期の神域を踏むことを目指したが、1勝4敗で敗れ去った。自らの体調不良による入院のため、第4局が延期される棋士人生初の苦難にも見舞われた。
シリーズの趨勢を決したのは1勝1敗で迎えた第3局だった。羽生優勢で迎えた終盤に象徴的な局面がある。中継画面上に表示されたAIによる形勢評価のパーセンテージは「羽生75 豊島25」。ところが、既に一分将棋に突入していた羽生は頓死(自玉の詰みを見落とすこと)の筋に自ら飛び込む一手を指し、表示は一気に「羽生1 豊島99」の敗勢へと転落した。数分後、挑戦者は投了を告げた。
あの瞬間、AIは▲9四角という異筋の最善手を示していた。ある棋士は「一分将棋で読み切って▲9四角を指すのは人間には不可能。仮に発見できても、その後の展開があまりにも見通せない」と言った。本当に人間には不可能な「幻の一手」だったのか、彼ならば指せるはずだった一手なのか?
――あの60秒の間、局面をどのように見ていたのでしょう。
「ずっと際どい形勢で、▲9四角は持ち時間が残り1時間残っていて読み切れるかどうか、という難易度でした。ただ、1分しかありませんから。第一感では『空振り』『大損』『何の効果もなし』でした。ただ、▲9四角を見つけても、指せば勝ちという局面ではなかったんです。それから正しい手を指し続けられたかどうかは謎です。もっと前の局面で分かりやすく勝ちに導く手順もあったと思います。あの局面での判断に年齢は関係ありません。10代でも20代でも同じだったと思います」
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