「田澤ルール」撤廃により、またも周囲が騒がしくなった。それでも当の本人は、ただ力強いストレートを投げ込むだけだ。過去にそのボールを受けた筆者が、帰ってきたパイオニアを訪ねた。
「桜が咲いていて、懐かしいなって。春に日本にいるのは久しぶりでしたから」
メジャーリーガー、田澤純一。野球の世界最高峰で10年間、388試合に登板した34歳が今年、日本に帰ってきた。
3月にレッズ傘下を退団し、キャンプ地アリゾナでトレーニングを続けていたが、新型コロナウイルスの影響で練習場所を失うと、アメリカの自宅を引き払って帰国。7月13日、BCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズに入団した。
「夜にコンビニに行けるというだけで、やっぱり日本は治安が良くて住みやすいなと感じます。アメリカにも良さはありますけど、海外に出たからこそ日本の良さが分かるようになりましたね」
「ピッチングって、自分をさらけ出すこと」
13年前、田澤が新日本石油(現・ENEOS)の投手として「ドラフト1位候補」になる少し前、私は川崎市のグラウンドでそのボールを受けている。ストレートは捕球の瞬間、左手が吹っ飛ぶんじゃないかというほどの破壊力で、ミットの中で骨が軋んでいた。それに加えて、今なら「パワーカーブ」と称されるであろう縦の変化球で打者を圧倒する。そんなエネルギッシュなピッチングとは裏腹に、その話しぶりがあまりにも控えめだったことを覚えている。当時は不振に陥っていたこともあり、「投げるのが恥ずかしい」とまで言っていた。
「ピッチングを受けてもらうって、自分をさらけ出すことですから。キャッチャーに投げるのは最小限にして、ネットに投げている時期もありました。ネットならどんなボールを投げても何も感じませんから」
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photograph by Nanae Suzuki