工藤公康、郭泰源と共に3本柱として黄金期を支えた。豪球と颯爽とした風貌に、超人的なタフネスぶり――。トレンディ・エースと呼ばれた男は投手として、監督として、GMとして勝利の遺伝子を継承し続けている。(Number1005号掲載)
「ミスターライオンズですよね」と言うと「ミスターって呼ばれるのはだいたい野手なんだよな」と少し不満そうに呟く。勝ちも負けも200を超え、与死球も日本一、初の1億円投手で球場外の話題にも事欠かない。しかしなぜか、マウンドでの東尾修はスターというより、孤高の勝負師に見えた。不意に笑ったりして、ドキドキした。インコースにスライダーを投げ抜き、しれっとマウンドを降りていく。球団のどん底から黄金時代へ、変わりゆくライオンズの中でただ一人「エース」であり続けた“トンビ”は、上昇気流の中で何を見ていたのだろう。
西鉄には「豪快に遊ぶ」みたいなイメージがあるみたいだけど「朝まで飲んでから試合に行った」なんてなかったですよ。そんなアホなこと、中西(太)さんも稲尾(和久)さんもしない。僕が入団した頃(1969年)は九州の景気を支えた炭鉱もだいぶ下火になっていたしね。
西武初年度は、球場もキャンプ地もなし。
西武初年度はとにかく大変でした。10月に譲渡が決まって、球場もできてない、キャンプ地もない、オープン戦も組まれてない。だから西武1年目は日本でオープン戦してないのよ。アメリカのブラデントンっていうところに43泊して、開幕1週間前に日本に帰国。新球場を噛みしめる余裕もなかった。周りにオレンジ畑しかなかったブラデントンの日々は強制的にステイホーム。ノムさん(野村克也)も田淵(幸一)さんも「早く日本に帰りたい」って、みんなで一日終わるとカレンダーに×印つけてね。
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photograph by Kazuhito Yamada