#1005
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<オールラウンダーの告白> 秋山幸二「メジャーの結果を日々チェックしていた」

2020/06/25
走攻守にずば抜けた能力を持ち、黄金期のクリーンアップを支え続けた。「メジャーに最も近い」と言われた男が、AKD砲やバック宙ホームインによって得たもの、そして大リーグへの憧れを語った。(Number1005号掲載)

 野球人生の大きなきっかけになったゲームがあります。1986年、広島との日本シリーズ第8戦、バック宙でホームインしたあの試合です。

 あれから多くの人に認識され、見られるようになり、それによってプロとしての意識が変化しました。責任感が出て、技術を追求するようになり、怪我をしても休めないと考えるようになりました。

 そして当時の西武にはそうしたプロ意識の高いメンバーがそろっていましたし、それがなくては生き残っていけなかったと思います。石毛(宏典)さん、辻(発彦)さんたちとは骨折や肉離れをしていても「まさか、それで休むわけじゃないよね」と叱咤し合っていました。

清原、デストラーデとの無言の関係。

 中でもファンの人たちの記憶にあるのは清原(和博)、デストラーデと組んだクリーンアップでしょうか。私は生涯、ホームランを打つことを追求して野球をやってきたので、同じチームに、自分以外に2人もホームランバッターがいるというのは大変な刺激でした。

 5つ下の清原に対しては、鳴り物入りで入団してきて、「負けるわけにはいかない」という意識を持っていました。デストラーデは同い年でしたし、ともにホームランを打ちたい意識が強かったので、良きライバルでした。

 あいつが打ったら、俺も打たなきゃ。3人とも口には出しませんでしたが、そういう意識は常に持っていました。長いシーズン、それによって打席での集中力が高まった部分はありました。

 

清原は秋山の盗塁を待ってくれた。

 あの頃のチームが強かったのは、そうした対抗心の中にも、打線における縦のつながりがあったことです。

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photograph by Koji Asakura

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