#852
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<悲劇から歓喜までの物語> 1994年のセレソンを奮い立たせた「セナの言葉」。

英雄を喪い、悲しみに打ちひしがれる国民を救ったのは、
'94年W杯を制したサッカーブラジル代表だった。
彼らが大会前にセナと交わしていた「ある約束」とは。

 1994年4月20日、パリ、パルク・デ・プランススタジアム。2カ月後にワールドカップを控えるブラジル代表が、パリ・サンジェルマンと親善試合をした時のことだった。日本で行なわれたF1レース第2戦、パシフィック・グランプリの後、パリに立ち寄ったアイルトン・セナが、この試合の始球式でキッカーを務めている。黒いスラックスにゆったりとしたセーターを着たセナは、少しバランスを崩しながら、ボールを蹴った。

 ブラジル代表はこのときまでに'58年、'62年、'70年と3度W杯を制していたが、それはいわゆる“ペレの時代”であり、24年もの間、優勝から遠ざかっていた。

 '94年大会では主力の一人として活躍し、後に横浜フリューゲルスでプレーしたジーニョは、こう振り返る。

「'94年は戦術をはじめ、あらゆる点で見直しがなされたんだ。パレイラ監督が採用したのは4-4-2というフォーメーションで、常に8人が後ろに残っているような守備的なものだった。だからマスコミからは“まるでイングランドみたいだ”と批判されたんだ」

 パレイラは結果を重視したサッカーをするあまり、ブラジル本来の美しいサッカーを忘れている――当時のメディアやファンはセレソンを痛烈に批判し、それが選手たちの重圧になっていた。南米予選で弱小国ボリビアに敗れたことで、信頼度は大きく失墜していた。

「お互い4度目の優勝を果たさなければいけない」

 一方のセナは、このシーズン、ブラジルでの開幕戦、そして第2戦ともポールポジションからのスタートでありながらリタイヤ。2戦を終えてノーポイントだった。セナは、パリで会ったパレイラ監督に、こう語りかけたという。

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photograph by Action Images/AFLO

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