憧れのユニフォームに袖を通したスターを尻目に、自らの運命を気骨ある態度で受け止めた男は、“悲劇のヒーロー”に祭り上げられる。世間の同情などどこ吹く風、強気の投球で野球界を駆け抜けた反骨のエースは、引退後に誰もが予想しえない道を歩んだ。
今年1月に幕を閉じた波乱の半生を辿る。
1979年の流行である高いカラーのシャツに水玉のネクタイを締め、すきなくスーツを着こなした様子はとてもプロ野球選手には見えなかった。きれいに櫛目の入った髪は1本の乱れもない。細面の中の大きな目が印象的だが、その日、その目は明らかに充血していた。長い話し合いにようやく決着がついたのだ。もうじき日付けが変わる。夜が明ければ2月1日。野球選手にとっては元日である。「大晦日」の深夜、小林繁は強烈なライトに照らされながら、記者たちの前で口を開いた。
「ぼくはイヤで阪神に行くのではない。期待されて行くんです。誰からも同情の目で見てもらいたくない」
嗚咽で言葉が途切れても不思議ではないのに、決然とした語り口にはまったくよどみがなかった。それを聞いた者は、この人物の「強さ」を鮮明に記憶に刻み込んだ。
小林と江川の人生を変えた「空白の一日」とは?
「空白の一日」といっても、その経緯を明快に説明できる人は、おそらく40代後半以上だろう。31年前の話である。ドラフトで二度の指名を拒否してジャイアンツへの入団を望んだ「怪物」江川卓は、野球協約の「空白の一日」という盲点を突いて、ジャイアンツと契約を結んだ。どう見てもジャイアンツのゴリ押しで、メディアや世論は騒然となった。ドラフト会議を欠席したジャイアンツに、他球団は、江川をドラフトで指名する形で対抗した。交渉権を得たのはタイガースだった。
しかし、江川は一度も縦じまのユニフォームを着ることなくジャイアンツに移籍する。ジャイアンツとタイガースの間でトレードが成立したのだ。タイガースは江川をジャイアンツに出す見返りに、当時のエース、小林繁を獲得する。人気球団同士の談合決着ともいえ、騒ぎはさらに大きくなった。
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