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「自分自身でクビを宣告していた」ヤクルト移籍も“最後の一軍登板”で炎上「これで終わりか…」東大法学部卒・宮台康平が“プロ野球選手を諦めた日”
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松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byJIJI PRESS
posted2026/10/30 12:02
2020年12月、宮台康平さんはトライアウトを経てヤクルトに入団。自身の成長に手応えを感じていたが、プロの現実は厳しかった
「自分自身でクビを宣告していた」
アスリートに“たられば”は禁句かもしれないが、間違いなく宮台にとって人生の分岐点となる登板だった。やりきれない部分もあるのだろう。それだけ心血を注いで野球に打ち込んでいた証拠でもある。
「二軍に落とされて、これでクビかもと思ってしまったんですよ。それって、自分自身でクビを宣告しているのと近いんですよね。打たれても、自信があったら“来年もある”って思えるはずですから。実際、一軍で活躍するビジョンを描けなかった。5年目は球速も上がって、成長している手応えはあった。それでも一軍の戦力に選ばれなかったということは、ここが僕の最終到達点なのかなと考えました」
あと1年。そう考えもした。だが、2021年にも「来年こそ」と思って勝負し、実際には翌年もほぼ同じ立ち位置にいる。毎年「あと1年、あと1年」と結論を引き延ばしている自分にあらためて気づいた。
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「成長を実感できたヤクルトの2年間でしたが、年齢やキャリアとの兼ね合いを考えると……。支配下契約を打診されていただけに身の振り方は難しかったですね。でも、心のどこかで野球じゃない世界に行きたいと思っている自分がいたんです。仮に野球を続けて29歳や30歳で終わったときに野球以外の道に行けるのかといえば、27歳と比べたら違ってくると思いますし、そういう打算はあった気はします。このときはまだ何をするかを決めてはいなかったんですけど」
綱渡りの二軍生活を過ごすうちに、夢や希望よりも現実を見据え、どこかで踏ん切りをつけるタイミングを模索している自分がいた。そうして宮台は、断腸の思いで決断を下した。
2022年シーズンオフ、27歳になっていた宮台はヤクルトから打診された支配下契約を断って引退し、第二の人生を歩むことを決める。プロ野球では不甲斐ない結果に終わってしまったが、宮台が“もうひとつの能力”を発揮するのはここからだった。
<続く>

