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「自分自身でクビを宣告していた」ヤクルト移籍も“最後の一軍登板”で炎上「これで終わりか…」東大法学部卒・宮台康平が“プロ野球選手を諦めた日” 

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松永多佳倫

松永多佳倫Takarin Matsunaga

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posted2026/10/30 12:02

「自分自身でクビを宣告していた」ヤクルト移籍も“最後の一軍登板”で炎上「これで終わりか…」東大法学部卒・宮台康平が“プロ野球選手を諦めた日”<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2020年12月、宮台康平さんはトライアウトを経てヤクルトに入団。自身の成長に手応えを感じていたが、プロの現実は厳しかった

 日ハムが自主性を重んじるのに対して、ヤクルトは親身になって伴走してくれる。センスがある者にとっては放任主義の日ハムのほうがやりやすくどんどん伸びていくが、宮台はコーチと一緒に作り上げていくほうが性に合った。

「これで終わりか…」最後の一軍登板が人生の分岐点に

 ヤクルトでの宮台は、プロのピッチングたるものを掴みかけていた。

 先発から中継ぎに配置転換し、イースタンでは27試合25回3分の1イニングを投げて1勝1敗1セーブ、26奪三振、四死球6、自責点6、防御率2.13の成績を残す。

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 その安定感を買われて5月29日に一軍登録されたが登板機会はなく6月8日に抹消。再び9月20日に一軍登録されるも登板なしで24日に抹消。シーズン中、二度の一軍昇格があったもののチーム事情により登板なしに終わってしまったことは不運だった。

 年が明けた2022年は一軍の浦添キャンプに同行するなど、首脳陣の期待の高さを感じさせた。

 開幕一軍は叶わなかったが、6月16日のイースタン巨人戦では自己最速の155kmを計測する成長を見せるなど、中継ぎで安定したピッチングを続ける。そして7月12日に一軍登録され、14日の中日戦で移籍後初登板となった。8回から3番手で登板した宮台は1イニングを三者凡退(2奪三振)に抑える。中継ぎに配置転換し、地道にやってきた成果がようやく表れた。

 続く17日、横浜スタジアムでのDeNA戦の5回から救援し1イニングは三者凡退に抑えるも、回またぎの6回に捕まってしまった。被安打4で一挙5失点。翌日抹消された。

「悔しかったです。これで終わりかって……。チャンスは少なかったかもしれませんが、打たれたので文句は言えない。やっぱり中継ぎは抑えて当たり前ですから」

 冷静な口ぶりのなかに、本物の感情がにじんでいた。さらに続ける。

「最終登板で結果を出せなかったことがすごく悔やまれるというか、本当に分岐点だったと思います。あそこを抑えていれば違った未来があっただろうし、またチャンスをもらえたかもしれない」

【次ページ】 「自分自身でクビを宣告していた」

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