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「おい、愛甲。張本さんにビールぶっかけてこい!」張本勲に愛された男が明かす衝撃「“あんた”って呼んでいた」ロッテ監督・山内一弘との関係性
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岡野誠Makoto Okano
photograph byNumber Web
posted2026/10/03 11:02
張本勲の現役時代を知る愛甲猛
山内監督との関係性
山内は寛大だった。
〈私は張本を打者として尊敬している。ナインの愚痴が出る時、張本は決まって大声でナインの気持ちを代弁してくれる。張本がいえばナインもそれで納得してくれる〉(81年6月30日付/スポーツニッポン)
打撃の職人は、心の広い指揮官に感謝していた。
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〈自分のわがままを許してくれる監督は球界広しといえどもいないだろう。決していいことばかりではないだろうが、ただ野球に対する純真さで監督はオレの意見を組み入れてくれるんだ〉(前掲紙/引用ママ)
8月の先発出場は3試合のみ。もはや、稀代の大打者は戦力とは言い難かった。だが、ファンは張本を見たかった。たまに代打で出ると、大歓声で迎えられた。
「ネクストからバッターボックスに入るまでのオーラがすごいんですよ。スイッチを入れた時の真剣な顔は本当に怖い。殺気立つような雰囲気があって、カッコいいんです」
9月になるとヒジの故障や右手首の腱鞘炎もあって、わずか2試合出場に留まる。シーズン最終戦の10月4日、32日ぶりに代打で登場するも、一塁ゴロに倒れた。
それでも、一世一代の出番がやって来る。パ・リーグ優勝と日本シリーズ進出を懸けた日本ハムとのプレーオフ。初戦をエースの村田兆治で落とした山内監督は「もうあの人の力を借りるしかないよ」と張本の起用を示唆。41歳の大ベテランは「決してチームにとっていいことじゃないけど、きっとこういう時が来ると思っていたんだ」と気合を入れた。
引退から監督就任の噂まで
だが、ブランクは取り戻せなかった。第2戦、偵察要員に代わって「7番・DH」で出場するも四球、三邪飛、三振、右飛に終わる。これ以降、出番は訪れず、ロッテは日本ハムに敗れ、2年連続プレーオフで涙を呑んだ。翌日、山内監督が張本の処遇について語った。
〈本人の意思を尊重することになるが、選手兼任の打撃コーチが一番ふさわしいかもしれない〉(81年10月15日付/スポーツニッポン)
事態は急転直下する。山内監督は毎年、「練習場と合宿所の隣接」「コーチやトレーナーの低年俸の改善」を要求していた。しかし、一向に変わらないフロントに痺れを切らし、19日に辞意を伝えた。翌日、スポーツニッポンが1面で張本の引退を報じた。
球団は山内監督の慰留に励むも、失敗に終わる。すると、張本の名前が紙面を賑わせる。
〈張本ロッテ監督 “名人”鬼と化す 精密ミサイルへ猛練習主義 明日にも誕生〉(81年10月27日付/日刊スポーツ)
〈張本監督決定〉〈昨夜、監督を受諾〉(81年10月31日付/スポーツニッポン)
3000安打の大打者はどんなチームを作るのか――。ファンは期待に胸を膨らませた。
〈つづく〉
※名前、肩書きなどは当時

